ローリングトウェンティーズ(英語表記)Roaring Twenties

翻訳|Roaring Twenties

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ローリング・トウェンティーズ
Roaring Twenties

アメリカで,第1次大戦後の経済的繁栄のうえに消費的な都市文化が開花した1920年代を呼ぶ言葉。ここでは,同時代の世界的動向を概観する。なお,この時期のアメリカの世相については〈ジャズ・エージ〉の項目も参照されたい。

 アメリカでは,1930年代に〈20年代〉を振り返って,〈ローリング〉という形容詞をつけるようになった。この語には〈ほえる〉〈騒々しい〉〈活発な〉といった意味があり,また1910年代から,〈ロアroar〉の語は〈社会に対して抗議する〉という意味にも使われるようになった。第1次大戦後から29年の大恐慌までの時代(1931,32年まで入れることもある)には古い体制が崩れ,また自動車から真空掃除機に至る現代都市生活の環境がそろい,若々しい風俗と文化がつくられた。現在の都市生活のスタイルはほとんどこの時代に起源をもっている。〈狂乱の20年代〉などと訳されるローリング・トウェンティーズは,フランスでは〈レザネ・フォールles années folles〉(狂気の年々),ドイツでは〈ゴルデネ・ツワンツィガー・ヤーレgoldene zwanziger Jahre〉(黄金の20年代)ともいわれる。イギリスでは〈ブライト・ヤングbright young〉(明るく陽気な若者)の時代といわれた。

 20年代の特徴は,なにより都市的であることである。ヨーロッパではパリやベルリンが最も20年代らしい都市であった。20年代のパリには,ロシア革命によって亡命してきたロシア人と,戦後パリにあこがれて禁酒法のアメリカを逃れてきた,いわゆる〈パリのアメリカ人〉があふれていた。ディアギレフバレエ・リュッス(ロシア・バレエ団)はパリ・ファッションを刺激した。ヘミングウェー,F.S.K.フィッツジェラルドなどのロスト・ジェネレーションに属する作家,ガーシュインやコール・ポーターなどの音楽家,そしてマン・レイなどの〈パリのアメリカ人〉たちがヨーロッパにジャズ,カクテルなどのアメリカン・スタイルを持ち込んだ。逆にファッションからアール・デコの家具に至るフランス文化がアメリカに送られた。フランスで学んだ建築家たちは,ニューヨークロサンゼルスに巨大なアール・デコ様式の摩天楼を建てたのであった。パリ・ファッションも20年代に世界的なものとなった。G.シャネル(ココ・シャネル)は働く女性のためのファッションを売り出した。《ボーグ》や《ハーパーズ・バザー》といったファッション誌によって,パリ・ファッションはアメリカ中に伝わった。毎年,新しい形が発表されるというシステムもこの時期に確立される。

 20年代に人々はダンスに熱中し,それに伴ってジャズが大流行した。ナイトクラブやダンスホール,ホテルなどでは黒人のジャズ・バンドを必ず雇っていた。またスポーツがブームで,テニスゴルフ,水泳などを女性も活発に行うようになった。ファッションもそれに影響されて,短くスポーティな服がつくられた。また,大型汽船,豪華列車,自動車,飛行機などの交通機関の目覚ましい発達によって,速く,快適な旅ができるようになり,観光旅行が盛んになった。これらの乗物で旅をしながら,ロンドンサボイ・ホテルやパリのオテル・リッツ,ニースのオテル・ネグレスコなどを泊り歩く人々が多くなった。またC.A.リンドバーグが大西洋無着陸横断飛行に成功して英雄となったように,乗物やスポーツで記録をつくった人が人気を集めたのが20年代の特徴である。

 ベルリンは20年代のもう一つの中心であった。キャバレー文化といわれる都市の退廃的な文化が栄え,演劇,映画,写真など前衛的な芸術が開花した。30年にJ.vonスタンバーグ監督の《嘆きの天使》に出てくるマルレーネ・ディートリヒは〈夜の都市〉としてのベルリンの雰囲気をよく表している(ワイマール文化)。

 20年代の都市の特徴は,各都市が世界的な規模で激しく交流しあっていたことであった。パリやニューヨークだけでなく,東洋の上海や東京もその輪の中にあったのである。1920,30年代の上海は国際都市として発達し,ジャズ,バレエ,写真などがここを通して日本に入ってきている。ところで,日本にもローリング・トウェンティーズはあったであろうか。これについては研究が遅れているが,20年代のスタイルであるアール・デコの建築や工芸,モダニズムの都市文学などが日本でも再発見されつつある。東京の銀座や浅草などの盛場とその裏町における風俗には,ヨーロッパやアメリカのローリング・トウェンティーズと同時代の様相を見いだすことができる。川端康成《浅草紅団(くれないだん)》(1929-30),竜胆寺雄(りゆうたんじゆう)《アパアトの女たちと僕と》(1928),吉行エイスケ《女百貨店》(1931)などには当時のモダンな都市風俗が描写されている。ショーウィンドー,イルミネーション,エレベーター,アパート,百貨店,映画館といった20年代に一般化してきた都市生活の環境をそこに見ることができる。

 ローリング・トウェンティーズの問題は,なぜ20年代にあれほど都市文化が華々しく開花したのか,それにもかかわらず,なぜあれほど急激にしぼんでしまったのかという点にある。
戦間期
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のローリングトウェンティーズの言及

【ジャズ・エージ】より

…第1次世界大戦終結から1929年の大恐慌にいたる,戦後の繁栄のなかにあったアメリカの代表的一面を指す言葉。ローリング・トウェンティーズとも呼ばれる。 ジャズは,その当時から白人社会にも流行し出した音楽の一形式だが,ほかにセックス,そしてダンスの意味ももち,神経の一般的興奮状態を暗示している。…

※「ローリングトウェンティーズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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