ソ連邦の演出家,俳優で,演劇の革新者。モスクワ大学を中退し,演劇の道に入った。1911年にモスクワ芸術座に入り,スタニスラフスキーがシステム研究のために創立した第一研究劇場の俳優,演出家として活動し,ほぼ同時に学生研究劇場の指導者となった。後者が21年からモスクワ芸術座第三研究劇場と呼ばれるようになり,26年にワフタンゴフ劇場となった。深い心理主義的で繊細な描写から大胆な構成主義的舞台表現まで,時代の要請に合った演劇を模索したその一生は,文字どおり演劇の求道者の名にふさわしい。その活動はもっぱら小劇場で行われたが,後世の演劇に与えた影響は大きい。1922年《トゥーランドット姫》を上演し,革命的演劇の誕生と評価されたが,スターリン時代は形式主義と批判された。ほかにチェーホフの《結婚披露》(1920),ストリンドベリーの《エリク14世》(1921)などが代表作。
執筆者:宮沢 俊一
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ロシアの演出家。ウラジカフカスのたばこ工場主の家に生まれる。青少年時代から素人(しろうと)劇団に加わり、モスクワ大学を中退、モスクワ芸術座の俳優たちが教えていたアダーシェフ演劇学校を経て、1911年にモスクワ芸術座に入った。スタニスラフスキーの信奉者の一人として、12年から芸術座付属第一スタジオで俳優・演出家として活躍するかたわら、13年に学生スタジオ(21年に芸術座第三スタジオ、26年にワフタンゴフ劇場と改称)を創立した。ロマン・ロランの民衆演劇論に共鳴し、新しい時代にふさわしい演劇を模索し、俳優の創造的個性とアンサンブルを重視して大胆に新形式を追求した。代表的演出はゴッツィの『トゥランドット姫』(1922)。
[中本信幸]
『ゴルチャーコフ著、高山図南雄編訳『ワフターンゴフの演出演技創造』(1978・青雲書房)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…1913年ウィーンでのシオニスト会議の席上,ツェマッハNahum Zemach(1887‐1939)が,各国に分散するユダヤ人の心をパレスティナに結ぶ劇を創造することを思い立ち,4年後,ロシア革命の渦中のモスクワでわずか10名の芝居好きとともにこれを実行に移そうとした。スタニスラフスキーに援助を求めると,ワフタンゴフに指導をゆだね,後者の奔走で〈芸術座〉付属第4研究劇場が結成された。翌18年,ユダヤ作家の一幕物4本でデビューして注目を浴び,アン・スキ作《デュブク(怨霊物語)》の大成功で職業劇団として自立した。…
…例えば当代の代表的演出家トフストノーゴフ,エフレーモフ,エーフロスにしても,スタニスラフスキー・システムを信奉する立場は同じだが,手法や作風はそれぞれ驚くほど違う。タガンカ劇場Moskovskii teatr dramy i komedii na Tagankeを創設したリュビーモフは,メイエルホリドやワフタンゴフの手法を取り入れて,写実にとらわれない舞台の表現法を確立した。ソビエト製ロック・ミュージカルに固執しているザハーロフMark Anatorievich Zakharov(1933‐ )のような演出家もいる。…
※「ワフタンゴフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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