精選版 日本国語大辞典 「ワルシャワ条約機構」の意味・読み・例文・類語
ワルシャワじょうやく‐きこう ‥デウヤク‥【ワルシャワ条約機構】
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ソ連および東欧圏7か国(アルバニア、ブルガリア、ハンガリー、東ドイツ、ポーランド、ルーマニア、チェコスロバキア)が結成した安全保障機構。正式名は東欧相互防衛援助条約機構。西欧同盟の結成(1954)や西ドイツのNATO(ナトー)(北大西洋条約機構)への加入(1955)といった事態に触発されたもので、「友好、協力および相互援助条約」が1955年5月14日調印、同年6月6日発効した(アルバニアは1968年、東ドイツは1990年に脱退)。ソ連を中心とする東欧圏の安全保障方式は、それまで、旧敵国に対する過渡的安全保障条項(国連憲章第107条)に基づくものであったが、本条約では、その法的な基礎を国連憲章第51条に規定する「集団的自衛権」に置き、共同防衛体制を形成した。締約国は、その共通の利益に関するすべての重要な国際問題につき相互に協議し、締約国のいずれかに対する「武力攻撃の危険」が生じたと認めたときは、相互に協議する(第3条)。ヨーロッパにおいて締約国に対する武力攻撃が発生する場合には、自衛権の行使として、個別的にまたは集団的に、必要と認めるあらゆる援助を与えなければならない(第4条)。本機構の最高機関は政治協議委員会(第6条)であり、その権威の下に統一司令部が設置される(第5条)。本機構の行動原則として、独立および主権の相互尊重ならびに内政不干渉が明示される(前文・第8条)、とした。この行動原則の適用は、ハンガリー動乱(1956)やチェコ動乱(1968)などの事例にみられるように、いわゆるブレジネフ・ドクトリンないし制限主権論との関連において問題となる。1980年代の後半には、ソ連および東欧諸国の共産主義政権の連鎖的な崩壊により冷戦構造は瓦解(がかい)し、本条約機構もその歴史的な役割を終え、1991年7月政治諮問委員会における解散議定書の署名によって解体した。
[森脇庸太]
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ソ連および東欧諸国(ポーランド,東ドイツ,ハンガリー,ルーマニア,ブルガリア,アルバニア,チェコスロヴァキア)が1955年5月,ワルシャワで調印。正式には,東欧8カ国友好協力相互援助条約にもとづく相互安全保障機構。ワルシャワ条約は西ドイツの再武装とNATO(ナトー)加盟を承認したパリ協定に対抗して成立。この条約は国連憲章の目的と原則にもとづき,加盟国が武力攻撃を受けた場合にとるべき共同防衛措置を決め,そのための統一軍司令部を設けた。ただし,NATOと違って,直属の兵力は有せず,各国の兵力を統一軍司令部が指揮する権限を有するのみで,統一軍司令部はモスクワに置かれた。東欧の革命,ペレストロイカにより91年7月解散した。
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冷戦期の東欧における地域的集団安全保障機構。1955年西ドイツの再軍備と北大西洋条約機構(NATO)加盟に対抗して,ソ連の指導のもとで東欧八カ国友好相互援助条約(ワルシャワ条約)を結んで成立。56年のソ連軍によるハンガリー介入のように,同機構は域内での政治的監視機能をも保持。また68年のチェコ介入ではブレジネフ・ドクトリン(制限主権論)が展開された。アルバニアが中ソ論争を機に68年に脱退。冷戦の終結により,91年3月に軍事機構として,また7月に政治機構としても解散を決定。
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…ここに生まれたいわゆるベルリンの壁は,西側の反ソ・反東独の宣伝をさらに激しいものとし,東西間の緊張はますます高まった。これより先1955年の西ドイツの北大西洋条約機構(NATO)への加盟と,これに対抗する東ドイツのワルシャワ条約機構への加入によって遠のいていたドツ再統一は,ここにいたってほぼ絶望的なものとなった。 西ドイツは東ドイツをソ連傀儡政権とみなし,東ドイツ国家の存在をあくまで否認しようとし,全ドイツにおける自由選挙を統一の前提と主張した。…
…政治面では,議会の無視,共産党の一党支配,党内の対ソ自主派の粛清(ハンガリーのライク,ブルガリアのコストフ,ポーランドのゴムルカなど),〈小スターリン〉の独裁(ハンガリーのラーコシ,ブルガリアのチェルベンコフ,ポーランドのビエルト,チェコスロバキアのゴットワルトなど)が特徴となった。さらに,55年にはワルシャワ条約機構がNATOに対抗してつくられた。反面ユーゴスラビアは労働者自主管理(労働者管理),非同盟の社会主義を模索していった。…
※「ワルシャワ条約機構」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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