一世一元の制(読み)いっせいいちげんのせい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「一世一元の制」の意味・わかりやすい解説

一世一元の制
いっせいいちげんのせい

天皇一代に一つだけ年号を定めること。元号(年号)制はもともと、皇帝が時間と空間を支配するという古代中国の政治観念に基づいたものであるが、吉凶による改元を廃して改元を皇帝の即位改元に限る一世一元の制は、皇帝権の強化された明(みん)・清(しん)朝においてみられたものである。日本では1868年(明治1)明治維新に際し岩倉具視(ともみ)の主張に基づき、行政官布告第1号によって一世一元の制が導入されたが、元号はこのときから天皇の統治年を示すものとなった。一世一元の制をとることは皇室典範登極令(とうきょくれい)においても法的に確認されたが、1947年(昭和22)日本国憲法制定に伴う皇室典範などの改廃により、国民主権理念にふさわしくないものとして明文法上の根拠を喪失した。しかし1979年に元号法が成立し、明文法上も一世一元の制は復活している。

[赤澤史朗]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「一世一元の制」の解説

一世一元の制
いっせいいちげんのせい

天皇の治世のはじめに定めた年号を,一代の間,改元せずに使用する制度。桓武朝の延暦をはじめ,平安前期には一世一元の時期もあったが,のち祥瑞(しょうずい)・災異辛酉(しんゆう)革命甲子革令(かっしかくれい)などさまざまな理由にもとづく改元が行われるようになり,天皇一代に数号の年号という場合すらみられた。このような改元頻発からくる煩雑さを省くため,1868年9月8日の明治改元の際,改元詔書ならびに行政官布告を通じて一世一元の制が定められた。また1889年発布の皇室典範,1909年公布の登極令(とうきょくれい)によって,より明確化するかたちで法制化された。

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百科事典マイペディア 「一世一元の制」の意味・わかりやすい解説

一世一元の制【いっせいいちげんのせい】

天皇1代の元号を一つだけにすること。明治1年(1868年)9月8日の詔で定められた。それまでは,天皇の即位,祥瑞(しょうずい),災害,甲子(かっし)・辛酉(しんゆう)の年など1代に数回改元されることもあった。
→関連項目元号法

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「一世一元の制」の解説

一世一元の制(いっせいいちげんのせい)

君主が1代1元号(年号)を用いる制度。明の洪武帝が制定し,清に継承された。以後康熙(こうき)帝などというように君主を年号で呼ぶようになった。日本では明治以後採用されている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「一世一元の制」の解説

一世一元の制
いっせいいちげんのせい

天皇一代に1年号(元号)を定めて改元しない制度
1868年,明治改元の詔により制度として確立。桓武〜淳和4代(781〜833)に一世一元の例はあるが,ふつう一代のうち数回改元していた。なお,中国では明の太祖洪武帝に始まり,清朝に至った。

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旺文社世界史事典 三訂版 「一世一元の制」の解説

一世一元の制
いっせいいちげんのせい

皇帝一代を一年号とする制度
明の太祖(朱元璋)の洪武に始まり,皇帝を年号で呼ぶようになって,清に継承された。

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