三井高房(読み)みついたかふさ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三井高房」の意味・わかりやすい解説

三井高房
みついたかふさ
(1684―1748)

江戸中期の商人高平(たかひら)の長男惣領(そうりょう)家第3代。幼名元之助(げんのすけ)、通称三郎助のち八郎右衛門。剃髪(ていはつ)して宗清(そうせい)。一家の親分として家政と事業を統轄し、制度の細則整備すると同時に、長崎貿易、農地担保貸付けなど新規事業にも積極的に進出した。文才に富み、父の遺稿をもとに編著した『町人考見録』3巻は富商興亡の事情を流暢(りゅうちょう)な文体で叙述した作品として知られる。寛延(かんえん)元年10月17日65歳で没。法名崇清泰門近事。墓所は洛東(らくとう)真如堂(しんにょどう)。近江(おうみ)滋賀郡上坂井の安楽院に嗣子(しし)高美(たかよし)が追善のために建てた爪髪塔(そうはつとう)と泰門庵がある。

三井礼子

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三井高房」の解説

三井高房 みつい-たかふさ

1684-1748 江戸時代中期の豪商
天和(てんな)4年1月1日生まれ。三井高平の長男。三井総領家3代。享保(きょうほう)元年4代八郎右衛門を襲名。大番頭中西宗助(そうすけ)の助力で店員心得などの細則をさだめ,店組織を整備。父の見聞をもとに,商家教訓を「町人考見録」にまとめた。寛延元年10月17日死去。65歳。法名は宗清。
格言など】只事の大きにならざる已前に何事も了簡あるべきこと(「町人考見録」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三井高房」の意味・わかりやすい解説

三井高房
みついたかふさ

[生]貞享1(1684)
[没]寛延1(1748).10.17. 京都
江戸時代中期の豪商。三井高平の長男。幼名,元之助,のち三郎助。三井総領家3代八郎右衛門。法名,崇清。家業の基礎を固めるとともに長崎貿易,農地抵当貸付などにも着手した。また番頭中西宗助の助力を得て,家制の整備に努めた。著書『町人考見録』は有名。

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367日誕生日大事典 「三井高房」の解説

三井高房 (みついたかふさ)

生年月日:1684年1月1日
江戸時代中期の豪商;三井惣領家の3代目
1748年没

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