歌舞伎舞踊の曲名。常磐津。本名題《恩愛瞔関守(おんあいひとめのせきもり)/(おんないひとめのせきもり)》。1828年(文政11)11月江戸市村座初演。作詞奈河本助。作曲5世岸沢式佐。振付4世西川扇蔵。3世坂東三津五郎,2世岩井粂三郎(6世岩井半四郎)の所演。義太夫節の《源氏烏帽子折(げんじえぼしおり)》2段目の翻案。源義朝の妻常盤御前が,今若丸,乙若丸,牛若丸3人の子を連れて雪の木幡の関にかかると,平清盛の命で,義朝の残党を詮議するために関をかためていた弥平兵衛宗清に見とがめられる。宗清は常盤に,子どもを救うために操を捨てて清盛に従えとすすめ,六波羅に伴う。芝居の多いむずかしい曲である。
執筆者:如月 青子
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歌舞伎(かぶき)舞踊劇。常磐津(ときわず)。本名題(ほんなだい)『恩愛瞔関守(おんないひとめのせきもり)』。1828年(文政11)11月、江戸・市村座で3世坂東三津五郎の宗清、2世岩井粂三郎(くめさぶろう)(後の6世半四郎)の常盤(ときわ)御前によって初演。顔見世狂言『貢玉雪源氏(みつぎのゆきげんじ)贔屓(びいき)』の三立目(みたてめ)につくられたもので、奈河本助(ながわもとすけ)作詞、5世岸沢式佐(しきさ)作曲。義太夫(ぎだゆう)節『源氏烏帽子折(えぼしおり)』の二段目「宗清館」の翻案だが、常磐津の名曲として知られる。源義朝(よしとも)の室常盤御前が3人の子を抱えて落人(おちゅうど)となり、雪の木幡(こばた)の関に差しかかるが、関守弥平兵衛(やひょうびょうえ)宗清の情けあることばにより、三児を助けるため清盛に従う心を決めるまで。初演のときは、これが牛若丸のみた夢で、覚めると鞍馬山(くらまやま)での牛若の武術修行、のちだんまりになるという趣向であった。1856年(安政3)の再演のときあとへ現行の長唄(ながうた)『鞍馬山』が加えられたが、現代ではそれぞれ独立して上演される。
[松井俊諭]
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