植物学者。美濃(みの)国(岐阜県)岩村藩に生まれる。1889年(明治22)帝国大学理科大学植物学科を特待生として卒業、大学院に進み、地衣類の解剖を研究。1891年から3年間ドイツに留学、ライプツィヒ大学でプフェッファーに学び、花粉管と菌糸の屈化性を研究、1895年ジャワ島視察を経て帰国し、生理学担当教授となる。このとき近代的植物生理学、生態学を移入した。その関心は地衣類・セキショウ属の組織学的研究、硫黄(いおう)細菌、鉄細菌、樹木の根圧、植物の病理、サクラ・ハナショウブの博物学から古典の研究などきわめて広範囲にわたり、植物学の普及教育、天然記念物の保護事業などへの貢献も大きい。帝国学士院会員(1920)。
[佐藤七郎]
明治〜昭和期の植物学者 東京帝大名誉教授。
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…現在の用法になるのは,1950年制定の現行文化財保護法からである。明治30年代ごろからこの種の土地に密着した文化財の保護の必要性が叫ばれるようになるが,植物学者三好学は留学先のドイツで知ったNaturdenkmalの保護の状況を紹介・移植に努力し,その訳語に〈天然紀念物〉をあてた。〈記念物〉の語はその後monumentの訳語にも使用され,普及する。…
…東に庚申渓谷がある。亜高山帯の植生でシャクナゲやレンゲツツジが多いが,とくに明治中ごろ三好学により発見されたコウシンソウ(ムシトリスミレ)の自生地があり,特別天然記念物となっている。山頂の南に勝道上人により1200年前に開山されたという庚申神社があり,古くからお山回りと称する信仰登山が行われていた。…
…――これら明白な事実も,永い間,日本人には隠蔽されていた。〈さくら博士〉として有名な三好学(1861‐1939)が大正デモクラシー期に刊行した《人生植物学》(1918)には,〈昔は支那には桜は無いやうに思ったが,今日では多数の桜が西部幷(ならび)に西南部の山中で発見された〉〈印度にはヒマラヤ桜(Prunus Puddum)と云ふ美しい種類があって,ヒマラヤの中腹に生えて居る。日本の紅山桜に似て,花が赤く,且(かつ)萼(がく)が粘(ねば)る〉とある。…
…
[概念の成立]
そもそも生態ということばはそれ自体が生態学ということばと同時に造られたもののように思われる。生態学ということばは1895年に東京大学理科大学教授三好学(1861‐1939)によって造られた。その年ドイツ留学から帰って教授に任じられたばかりの三好は,当時のヨーロッパの植物学を紹介する小冊子を著し,その中で植物学には植物生理学,植物形態学,植物分類学,植物生態学の4区分があるとし,Pflanzenbiologieの訳語として植物生態学なることばを造ったと記した。…
…この考え方の中には,個々の標本的種類だけでなく,総合されたバイオームや景観をも天然記念物とみなすことが可能であるというニュアンスが含まれているが,このことは現在の天然記念物の考え方とよく整合している。 西欧に端を発した天然記念物の保護思想を日本に紹介し,はじめて〈天然記念物〉の語を用いたのは東京帝国大学教授三好学である(1906)。さらに三好は1926年5月発行の〈天然記念物解説〉の中で,〈……自然界の毀損は日に日に起っている。…
※「三好学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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