( 1 )「広本拾玉集‐二」に「野沢がた雨ややはれて露おもみ軒によそなる花あやめかな」と詠まれたのはハナショウブの前身のノハナショウブであるといわれる。アヤメは野沢潟のような湿地ではなく乾いた土地に生えるからである。
( 2 )ノハナショウブは改良を重ねられ、「花壇綱目」(一六六四)では六品種であったハナショウブが「増補地錦抄」(一七一〇)では約四〇品種までにふえている。享和年間(一八〇一‐〇四)には江戸葛飾に堀切菖蒲園が開園され、菖蒲見は下町の人々の風流となった。
( 3 )一方で「花伝集」(一六二八)あたりからアヤメ科のアヤメが出現して、ハナショウブとの混同が生じた。
出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報