幕末の蘭方(らんぽう)医。肥前国(長崎県)の医家に生まれた。名は温(おん)、字(あざな)は子厚(しこう)、桃樹園と号す。1830年(天保1)父の没後長崎に移り、楢林栄建(ならばやしえいけん)について蘭方医学を修め、その間江戸から遊学の佐藤泰然、林洞海(どうかい)らと親交を深め、相連れて1838年江戸に出て、薬研堀(やげんぼり)に数年間開業、下総(しもうさ)国(千葉県)銚子(ちょうし)に移り、1844年(弘化1)佐倉藩医となり、藩主の一女徳姫(とくひめ)の驚風(きょうふう)症の治療、藩主堀田侯の陰嚢水腫(いんのうすいしゅ)の手術を行い、一時、藩の別封出羽(でわ)国(山形県)柏倉(かしわぐら)に赴任し、余暇に天産鉱物の調査にあたっている。1848年(嘉永1)江戸に出て開業、江戸お玉が池種痘所の設立(1858)に尽力、同所の後身である幕府の医学所の教授(1863)となり外科術・包帯術を教え、国防に対処する医学の革新を唱え、外科器機類の製作に熱意を示した。新着のイギリスの医師ホブソンの中国訳書をいち早く翻刻出版した。日本最初の医学博士の一人である三宅秀(ひいず)(1848―1938)はその長男。
[宗田 一]
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(三浦義彰)
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