北は福岡県柳川市付近から南は熊本県荒尾市付近までの約30km,東は大牟田市の山麓付近から西は有明海のほぼ西縁付近までの約23kmの間に囲まれる範囲に位置する炭田。東縁,北縁は陸上部であるが,西縁,南縁は有明海底に延び炭田の大部分は海域である。黒崎岬の基盤の隆起部を境にして南を大牟田地区(三池地区),北を有明地区(山門地区)に分けることができる。地質構造はきわめて安定しており,東縁の陸上部での基盤に接する米ノ山断層付近の急傾斜部分を除けば全域5度内外の緩傾斜で,南西ないし西に傾く単斜構造である。夾炭層は古第三系に属し合計十数枚の炭層がある。採掘の主たる対象となるのは三池本層ほか2層で,いずれも炭田周辺部で薄化するが最も厚い部分では炭厚4~6mに達し,良質の原料炭,一般炭である。一般にどの主要炭層もその上盤に接近して硫黄分が多少多い傾向にあるが,概して南に高く北に低い傾向が認められる。埋蔵量は約16億t。現在稼行中の炭鉱はない。
執筆者:大橋 脩作
福岡県大牟田市を中心に所在した日本最大の炭鉱。三池の石炭は1469年(文明1)ころ稲荷山(とうかやま)で発見されたのが最初と伝えられているが,開発は江戸時代中期以降のことで,三池藩が稲荷山を経営し,さらに嘉永年間(1848-54)に生山(いけやま)を開坑し,柳河藩は享保年間(1716-36)に平野山を開坑した。両者の経営は炭山の境界をめぐって争いがたえず,1873年(明治6)すべて官収され,官営三池鉱山が発足した。開発が本格化するのは76年以降のことで,イギリス人ポッターの指導のもとに炭鉱の近代化がすすめられ,日本における最有力炭鉱に成長した。明治初期の三池炭鉱は囚人労働に多く依存した。囚人の使用は官行直後からはじまり,84年に三池集治監が設置されて以降本格化した。なお囚人労働は99年以降縮小し,1930年に全廃された。1889年1月三池炭鉱は三井に払い下げられ,以後現在に至るまで経営形態の変化はあるが,三井の手で日本最大の炭鉱として経営されてきた。主要鉱の開坑年次は1876年大浦,79年七浦,85年勝立,87年宮浦,95年宮原,97年万田,1918年四山,23年(新)宮浦,37年三川,65年(新)四山などで,77年には有明鉱(1959着手)を吸収合併した。陸上部の採掘は大正期にほぼ終わり,昭和初年から海底採掘が本格化した。1951年最初の人工島初島が完成し,第3人工島まで築島された。生産の推移をみると,1903年に100万tをこえ,明治末年から昭和初年まで200万t前後で,その後増産し,44年に戦前期最高の403万tを生産した。戦後,経済再建の重点産業のひとつに位置づけられたころには200万t前後であったが,60年争議後増産し,70年度には最高の657万tを記録した。81年度は三川,四山,有明の3鉱で489万tであった。日本最大の炭鉱を誇った三池炭鉱も96年度219万tの出炭を最後に,97年3月閉山した。三池炭は主として三井家で築造した三池港(1908完成)より海送された。三池炭鉱をめぐるおもな社会問題として,1918年万田鉱米騒動,24年三池全山争議,60年三池争議,63年三川鉱炭塵爆発(死者458人),84年有明鉱坑内火災(死者83人),1960年ころからの有明海ノリ被害がある。
執筆者:荻野 喜弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
福岡県南端の大牟田市(おおむたし)から熊本県荒尾市(あらおし)にまたがり、有明海(ありあけかい)の海底下に広がるわが国有数の炭田。炭質は6000~8000カロリーの良質な瀝青(れきせい)炭で、硫黄(いおう)分は多いが、粘結性で原料炭に適する。主要炭層は古第三紀層大牟田層群の稲荷(とうか)層本層、七浦(ななうら)層上層、万田(まんだ)層群勝立(かつだち)層上二層の三層で、傾斜は六度弱、ボタが少ないうえに炭丈も比較的厚い。埋蔵量は16億8000万トンといわれ、三井石炭鉱業三池炭鉱が採鉱、出炭量は年間約500万トンでわが国最大炭鉱であったが、1997年(平成9)に閉山した。1469年(文明1)の発見といわれ、18世紀末より三池藩が開発、1873年(明治6)官営になって洋式採炭を開始、1889年三井に払い下げられて本格的開発が始められた。1908年閘門(こうもん)式の三池港が完成、石炭化学コンビナート形成とあわせて著しい発展を遂げたが、この間1930年(昭和5)まで囚人労働が坑内労働の根幹を担っていた。海底下の坑道延長に伴い、1951年(昭和26)世界初の人工島(初島(はつしま))が入排気のためにつくられ、1970年第2人工島(三池島)がつくられた。エネルギー革命による炭鉱合理化政策により、三池炭鉱は日本一のビルト鉱として機械化、合理化が急速に進行したが、1953年、1959~1960年の反対闘争は歴史に残る大争議となった。出炭能率は著しく上昇したが、1963年の三川坑(みかわこう)の大爆発事故、1984年の有明坑火災に代表される炭鉱災害も発生した。閉山後の雇用対策や地域振興が大きな問題となっている。
[石黒正紀]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加