中江兆民著。1887年集成社から刊行。刊行前,一部は〈酔人の奇論〉として徳富蘇峰の《国民之友》に掲載。3人の男が酒を飲みながら日本の針路について議論する話。その1人〈洋学紳士〉は徹底した民主化と非武装によって〈民主平等道徳学術の実験室〉とする急進的改革を主張し,〈東洋豪傑〉は大陸侵略とそれをてこにした国内改革によって〈変弱為強の業〉を実現する強行策を求めた。2客を迎えた〈南海先生〉は与えられた〈小邦〉の条件の中で対外的な〈過慮〉=過剰な危機感を抑制し〈和交〉を第一とし,国内的には〈恩賜の民権〉を徐々に本来の〈恢復の民権〉に近づけていく持続的な努力の必要を説いた。3人は,〈亜細亜の小邦〉という条件を凝視しながら東西にわたる該博な知識を駆使して〈独立〉のための可能な限りの選択肢を模索しようとした兆民自身の分身で,彼らに戯画化された選択肢はその徹底性と振幅の大きさにおいてユニークであった。兆民の実際上の選択は南海先生の線にそうものであったが,紳士君の論を〈将来の祥瑞〉,豪傑君の論を〈過去の奇観〉と規定するその現実主義的選択には,前者が帝国主義化しはじめた西欧で時代遅れの理想とされ,後者が列強をめざす日本の将来像になろうとしていた時代の趨勢自体への鋭い対立と批判が含まれていた。
執筆者:宮村 治雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中江兆民(ちょうみん)著。1887年(明治20)集成社刊。民権運動の挫折(ざせつ)と明治憲法の制定を前にして、3人の男が酒を酌み交わしながら、日本の進路について議論を重ねるという構成。その1人、民主主義者「洋学紳士」は、自由・平等・博愛の大義による徹底した民主化と非武装平和論を説き、侵略主義者「豪傑君」は軍備拡張を力説し、大陸侵略とそれをてこにした国内改革による国権の確立を主張、現実主義者「南海先生」は、対外的には平和外交と防衛本位の国民軍構想を、国内的には「恩賜の民権」から「回復の民権」へ、「立憲制」から「民主制」への漸進的改革を唱えた。国内外の歴史的条件を凝視した兆民の実践的な選択は「南海先生」の議論に沿うものであったが、3人とも兆民の分身であり、近代文明の基本理念を堅持し歴史進化の理法を確信する洋学紳士と、帝国主義化する西洋諸列強の現実に即応する豪傑君の議論をくみ入れることによって、選択肢の枠を拡大しようとする意図が込められていた。日本の近代化過程全般を見通しうる政治理論書として最高傑作の一つである。
[和田 守]
『『三酔人経綸問答』(岩波文庫)』
明治期の政治・外交の思想書。中江兆民(ちょうみん)著。1887年(明治20)5月集成社から刊。3人の象徴的人物の酒席での問答の形式をとる。軍備撤廃や完全普通選挙の思想を説く洋学紳士,海外への軍事的進出を説く豪傑君,平和外交・国民軍創設・立憲制度の漸進的進展という現実的方法を考える南海先生の議論を通じて,日本の進路を模索しようとした。「明治文化全集」「明治文学全集」「岩波文庫」所収。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…また異論との対決が真理への道を進めるという確信から,藩閥政府に対しては言論の自由をはじめとする市民的自由の保障を求め,在野の政治運動に対しては地縁的閥族的結合を超えた旨義の自由な交流による結合を説いた。《三酔人経綸問答》(1887)はその思想的結実である。さらに独自の唯物論哲学に立った徹底した平等論から,いち早く〈新民世界〉(1888)と題する本格的な部落解放論を発表した。…
※「三酔人経綸問答」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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