上宮田村(読み)かみみやだむら

日本歴史地名大系 「上宮田村」の解説

上宮田村
かみみやだむら

[現在地名]三浦市南下浦みなみしたうら町上宮田

浦賀うらが水道に面し、海岸は長汀で、集落は海岸部に発達する。背後の海食台地に耕地が広がる。東は津久井つくい(現横須賀市)、南は菊名きくな村に接する。小田原衆所領役帳に桑原弥七郎「廿貫文 三浦郡宮田之内」とある。永禄一〇年(一五六七)九月二五日の北条家朱印状(県史三)は「上宮田」の新左衛門に、菊名浦沖で北条綱成を助けた賞として一〇貫文と田地三貫文目の当年一作を宛行っている。元亀三年(一五七二)六月一八日の北条綱成判物写(同書)によれば上宮田での竹木伐りは新左衛門以外の者には禁ぜられ、同氏は同四年三月一三日の道感(北条綱成)官途書出(同書)をもって松原和泉守の称を許された。


上宮田村
かみみやたむら

[現在地名]西木村小渕野こぶちの 宮田みやた狼渕おいぬふち落合おちあい

院内いんない川と小白川こしらかわ川に挟まれた新田村。南は国館くにだて村・東鎌野川ひがしかまのかわ村・下宮田しもみやた(現田沢湖町)、西と北は小淵野こぶちの村に接する。

元禄一五年(一七〇二)の出羽国秋田領変地其外相改候目録(県立秋田図書館蔵)によれば、上宮田村は「新田村に御座候、此度相改新御絵図ニ相記申候」とある。享保八年(一七二三)の仙北郡郡村本村支村御高調帳(秋田県庁蔵)によれば、上宮田は総名で、支郷は狼淵村六軒、前田まえだ村八軒、落合村二軒で、免五ツ五歩と三ツ八歩の新田のみ、当高合計一四一石三斗二升五合とある。支郷のうち前田と落合は隣村小淵野村にも同名の支郷があり、小淵野村からの鍬延による家数とも考えられる。


上宮田村
かみみやだむら

[現在地名]吉井町徳丸とくまる

筑後川に合流する隈上くまのうえ川左岸微高地に位置し、徳丸村福久ふくひさ村・長野ながの村と隣接する。中世は宮田とみえる。本高は三三四石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高六六〇石・役高五九六石。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高六一一石、文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田三三町二反余・開田四反余・畑田三町余・畑五町余・居屋敷五反余。旧高旧領取調帳によると高七五五石余。寛文四年(一六六四)大石長野おおいしながの水道開削の際に村内の古墳石材を利用し、遺跡は荒廃したという(吉井町誌)


上宮田村
かみみやだむら

[現在地名]袖ケ浦市上宮田

大竹おおたけ村の南に位置し、鎗水やりみず川が流れる。文禄三年(一五九四)上総国村高帳に村名がみえ、高一九九石。正保国絵図では高一九〇石。元禄郷帳によると高二〇一石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では下宮田村を含んで宮田村として高三八三石余、家数六四、旗本大井・依田森本土屋柘植の五家領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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