日本舞踊のうち京阪地方で生まれた独特の舞踊をいう。なお、このなかで京都において発達したものを「京舞(きょうまい)」とよぶ。上方舞は上方における地唄(じうた)(地歌(じうた))を伴奏とする舞、つまり「地唄舞」が主体になっているため、一般には上方舞すなわち地唄舞とみなされることが多い。しかし地唄以外の音楽による舞もあるので、上方舞は地唄舞を含む、より広範囲のものをいう。上方舞という呼び方は第二次世界大戦後、吉村雄輝が種々の音曲による吉村流の舞について、花柳(はなやぎ)章太郎の意見を入れて定めたものである。江戸で発展した歌舞伎(かぶき)舞踊が「踊(おどり)」を根底にしているのに対して、上方舞は「舞」の伝統を基盤にしている。舞は江戸時代になり京坂歌舞伎に入ったが、そうした古い時代の作品はほとんど残っていない。現行のものは江戸末期以降に、能楽の舞や、公家(くげ)・諸侯・武家で愛好された御殿舞(ごてんまい)、また人形浄瑠璃(じょうるり)の人形や歌舞伎舞踊などの技法を摂取し、座敷舞として仕上げたものである。各流派の成り立ちには相違があり、それが流派の特色につながっている。
大阪の山村流は、初世が京坂歌舞伎の振付師として活躍していた一方で、座敷舞、地唄舞をつくりあげ流祖となったので、歌舞伎色がやや濃い。また京舞の井上流は、初世が公家に仕えて白拍子舞(しらびょうしまい)や曲舞(くせまい)を修得して一流を成し、2世以降能楽との関連がとくに深かったのでやはりこの経緯をうなずかせる趣(おもむき)を備えている。なお、山村流のように流祖が男性である場合も、その伝承はおもに女性の舞手によりなされてきている。これは、中世の白拍子舞や、女曲舞、女舞の系統を引くものといえよう。作品の内容も女性の境遇や心情をうたったものが目だつ。また座敷の畳一畳(じょう)の中で舞うといった行動範囲の狭い、静的な技法が発達しており、「振(ふり)」にも象徴的な味わいが濃い。舞台で完成された歌舞伎舞踊が動的で具象的な振、はでな演出様式をとるのと対照的である。ただし、動的な技法を特色とする舞がないわけではなく、存在する。
演目には、能からのいわゆる本行物(ほんぎょうもの)として代表的なものに地唄『鉄輪(かなわ)』『葵上(あおいのうえ)』『珠取海士(たまとりあま)』『八島』など、歌舞伎舞踊からのものに地唄『江戸土産(えどみやげ)』『鐘ヶ岬(かねがみさき)』などがあり、また人形浄瑠璃(じょうるり)からの義太夫(ぎだゆう)『小栗(おぐり)曲馬物語』『しゃべり山姥(やまんば)』『妹背山恋道行(いもせやまこいのみちゆき)』などがある。また逆に、地唄『越後獅子(えちごじし)』は有名な長唄の歌舞伎舞踊の原曲である。地唄の端歌物『雪』『黒髪』『小簾(こす)の戸』などはつややかな味わいが、追善曲『袖香炉(そでこうろ)』はしんみりと静かな曲趣が、作物(さくもの)(おどけもの)の『鼠(ねずみ)の道行』『荒れ鼠』などは作風のおもしろさが特色である。これらのほか江戸唄(長唄)、常磐津(ときわず)、清元(きよもと)、一中(いっちゅう)節、荻江(おぎえ)節などの演目もある。近年は、稀曲(ききょく)、新作の振付け発表も種々行われている。
上方舞の流派では、文化(ぶんか)期(1804~18)に一流を成した京舞篠塚流(しのづかりゅう)が盛大であったが、明治中期に衰退し、近年も目だった活動はない。現在は京舞井上流、京舞を修得した流祖が大阪で創始した吉村流、大阪生粋の山村流、大阪で発展した楳茂都流(うめもとりゅう)が主で、ほかに御殿儛(ごてんまい)松本流や神崎(かんざき)流などがある。また、山村流をもとに独自の舞を確立した武原はんは著名で、故神崎流宗家神崎ひでとともに東京在住の舞手であった。
[如月青子]
京阪地方で発達した舞踊の総称。上方舞は,宮中や公家のあいだに伝えられた舞を源に,能の仕舞をやわらかく崩し,歌舞伎や人形浄瑠璃の所作事の技法を採り入れながらも,それを座敷舞として完成させたものである。町家の奥座敷や茶屋の座敷で舞われる座敷舞が本来であるが,座敷舞だけでなく,歌舞伎舞踊のような舞台舞踊も含まれる。上方舞として現在京阪にはっきり伝承されている流派は,京都の井上流,大阪の山村流,楳茂都(うめもと)流,吉村流があり,室内舞踊の伝統に根ざした特有の個性をそなえた型が伝承されている。上方舞は上方の商家の娘の遊芸,色町の芸者の本芸として育ってきたため,女舞が本流である。したがって現在でも,家元や名手のほとんどが女性である。原則として舞手は1人。地には,地歌(とくに端歌)や江戸歌を用い,1,2人の弾き語り。舞台装置なども用いず,後ろに屛風を置くだけである。また扮装,衣装の類もできるだけ簡単に,〈素(す)〉に近い形で舞う。振付も静的で象徴性が強く,時間的にも短いものが多い。近年は座敷より劇場,ホールなどで舞われることが多いので,その性格は漸次変わりつつある。昭和になって上方舞が東京に進出し,武原はんと神崎ひでの神崎流の系統がある。
上方舞のうち,地歌を舞の地に用いるものを〈地唄舞〉といい,上方舞諸流はそのレパートリーの中心に置いている。地唄舞は広義には上方舞を指すこともある。
→京舞
執筆者:権藤 芳一+柴崎 四郎
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…〈地歌〉の語の公式使用例の最初は,1875年(明治8)の〈地歌業仲間〉(のちの当道音楽会)の結成時である。地歌による上方舞を〈地唄舞〉と命名したのは,東京の米川文子であるが,上方舞は地歌のみによらないし,すべての地歌が舞に用いられるものでもない。
[歴史と分類]
三味線音楽の芸術化につとめたのは,16世紀半ばから17世紀半ばにかけて,三味線そのものの伝来・改良に関与した盲人音楽家たちであったが,彼らが作曲した最古典曲は,前代または当時流行していた小編の歌曲(小歌)を組み合わせて,これに三味線を結びつけて芸術歌曲化したものであった。…
…日本舞踊の上方舞の流派名。天保年間(1830‐44)に大坂で名振付師として活躍した初世山村友五郎(ともごろう)(のちの初世舞扇斎吾斗(ぶせんさいごとう))を流祖とする。…
※「上方舞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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