国体明徴問題(読み)コクタイメイチョウモンダイ

百科事典マイペディアの解説

軍部,右翼が天皇機関説を排撃してひき起こした政治問題。1935年2月貴族院美濃部達吉天皇機関説が非難され,さらに不敬罪として告発され貴・衆両議院有志が攻撃を開始。軍部,右翼のほか,政友会倒閣のためこれに同調,4月,岡田啓介内閣は美濃部の著書を発禁にし,国体明徴を8月,10月の2度にわたって声明した。美濃部は9月貴族院議員を辞任。以後言論統制が強化。政府はさらに11月教学刷新評議会を設置,同会答申に基づき1937年に刊行された《国体の本義》では自由主義・民主主義の基礎としての個人主義を排撃,日本を皇室を宗家とする〈一大家族国家〉であると規定した。
→関連項目国体

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世界大百科事典 第2版の解説

幕末以来,記紀神話を基礎としながら,日本国の特色は万世一系の天皇をいただく神国である点にあると主張する国体論が起こってきたが,それをうけた明治以後の国体論は二つの方向で展開された。第1は,1890年の教育勅語が,忠孝の道を〈国体の精華〉としたように,天皇崇拝を国民道徳根幹にすえようとする方向であり,第2は,国体を統治権所在によって分類し,大日本帝国憲法は天皇を絶対とし統治全権が天皇にあると規定している,という憲法解釈をとするものであった。

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

1935(昭和10)年,美濃部達吉の天皇機関説をめぐる政治問題
天皇機関説は国体の本義と相いれない反逆思想であるとして貴族院で問題化。軍部・右翼・立憲政友会は美濃部の理路整然たる弁明を理解せず,かえって憤激し,岡田啓介内閣の対処を迫り,政府は美濃部の著書の発禁と2度にわたる「国体明徴声明」を行った。この事件を契機思想統制はいっそう激しくなった。

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