国体明徴問題(読み)コクタイメイチョウモンダイ

デジタル大辞泉 「国体明徴問題」の意味・読み・例文・類語

こくたいめいちょう‐もんだい【国体明徴問題】

昭和10年(1935)国会議員軍部右翼美濃部達吉天皇機関説国体に反するとして攻撃した事件政府美濃部著書3冊を発禁にし、国体明徴声明を出した。

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百科事典マイペディア 「国体明徴問題」の意味・わかりやすい解説

国体明徴問題【こくたいめいちょうもんだい】

軍部,右翼が天皇機関説排撃してひき起こした政治問題。1935年2月貴族院美濃部達吉天皇機関説が非難され,さらに不敬罪として告発され貴・衆両議院有志が攻撃を開始。軍部,右翼のほか,政友会倒閣のためこれに同調,4月,岡田啓介内閣は美濃部の著書を発禁にし,国体明徴を8月,10月の2度にわたって声明した。美濃部は9月貴族院議員を辞任。以後言論統制が強化。政府はさらに11月教学刷新評議会を設置,同会答申に基づき1937年に刊行された《国体の本義》では自由主義・民主主義の基礎としての個人主義を排撃,日本を皇室を宗家とする〈一大家族国家〉であると規定した。
→関連項目国体

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「国体明徴問題」の解説

国体明徴問題
こくたいめいちょうもんだい

美濃部達吉の憲法解釈反国体的であると非難されたことに始まる一連の政治問題。原理日本社など国家主義団体や在郷軍人会の攻撃が,政友会の岡田内閣倒閣運動と結びついて政治問題化し,議会主義勢力や軍部内穏健派などの後退をもたらした。1935年(昭和10)2月18日貴族院で菊池武夫が,美濃部の天皇機関説への政府の処置を質したのに端を発し,政友会・在郷軍人会・民間右翼も政府に対応を迫った。3月23日衆議院も国体明徴決議案を可決。政府はしだいに譲歩し,8月3日,10月15日の2回にわたる国体明徴声明で天皇機関説を否定し,事態の沈静化を図った。事件の裏に皇道派の暗躍をみた林銑十郎陸相は,同年7月真崎甚三郎教育総監を更迭して,永田鉄山軍務局長暗殺事件(相沢事件)をひきおこし,さらに2・26事件の遠因ともなった。

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世界大百科事典 第2版 「国体明徴問題」の意味・わかりやすい解説

こくたいめいちょうもんだい【国体明徴問題】

幕末以来,記紀神話を基礎としながら,日本国の特色は万世一系の天皇をいただく神国である点にあると主張する国体論が起こってきたが,それをうけた明治以後の国体論は二つの方向で展開された。第1は,1890年の教育勅語が,忠孝の道を〈国体の精華〉としたように,天皇崇拝を国民道徳の根幹にすえようとする方向であり,第2は,国体を統治権の所在によって分類し,大日本帝国憲法は天皇を絶対とし統治の全権が天皇にあると規定している,という憲法解釈を軸とするものであった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「国体明徴問題」の解説

国体明徴問題
こくたいめいちょうもんだい

1935(昭和10)年,美濃部達吉の天皇機関説をめぐる政治問題
天皇機関説は国体の本義と相いれない反逆思想であるとして貴族院で問題化。軍部・右翼・立憲政友会は美濃部の理路整然たる弁明を理解せず,かえって憤激し,岡田啓介内閣の対処を迫り,政府は美濃部の著書の発禁と2度にわたる「国体明徴声明」を行った。この事件を契機に思想統制はいっそう激しくなった。

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