浄土教の根本聖典。1巻。『無量寿経』『阿弥陀(あみだ)経』とともに「浄土三部経」の一つに数えられ、『観経(かんぎょう)』と略称する。中国で424~442年ころ畺良耶舎(きょうりょうやしゃ)(カーラヤシャス)によって翻訳されたというが、サンスクリット原典がなく、チベット訳もなく、漢訳のなかでも他に異訳が存在しない。ただウイグル語訳断簡が現存しているが、これは漢訳から重訳されたものである。これらの点から、『観経』の成立については、インドで編纂(へんさん)されたとみることは困難である。現在、中央アジアでこの経典の大綱が成立し、中国的要素を加味して漢訳されたとみる説、あるいは中央アジアで成立した観法(かんぼう)を素材として中国で撰述(せんじゅつ)されたとみる説が行われている。
本経の内容は、インドの王舎城(おうしゃじょう)(ラージャグリハ)において太子阿闍世(あじゃせ)(アジャータシャトル)が父王頻婆娑羅(びんばしゃら)(ビンビサーラ)と母后韋提希(いだいけ)(バイデーヒー)を殺害しようとした悲劇を機縁として、釈尊(しゃくそん)が韋提希の請いに応じて、阿弥陀仏と西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)を観想するための13種の観法(かんぼう)を説き、さらにその浄土に生まれる9種のあり方(九品往生(くほんおうじょう))を3種の観法の形で示し、あわせて16の観法によって浄土往生信仰を高揚したものである。中国では隋(ずい)・唐(とう)代に広く流布し、とくに善導(ぜんどう)(613―681)が本経の主意を称名(しょうみょう)念仏による凡夫(ぼんぶ)の往生を説いたものと解釈し、これが日本の法然(ほうねん)(源空。1133―1212)に受け継がれて、その後の浄土教の展開に大きな影響を与えた。中国、日本では、本経の所説に基づいて浄土変相(へんそう)図も多く描かれ、それらは一般に観経変(かんぎょうへん)または観経曼荼羅(まんだら)とよばれている。
[藤田宏達]
阿弥陀仏信仰を説く大乗仏教経典の一つ。略称《観経》。漢訳(畺良耶舎(きようりようやしや)訳,5世紀)1巻,およびウイグル語訳断片(漢訳からの重訳と思われる)が現存。その成立に関して,インド説,中央アジア説,中国説があり,決着をみていない。この経典は,マガダ国王妃韋提希夫人(いだいけぶにん)がその子阿闍世(あじやせ)によって幽閉された,いわゆる王舎城の悲劇を背景に,幽閉中の韋提希に対する仏の説法として展開される。その内容はふつう定散二善と呼ばれる。定善は13種の観法によって阿弥陀仏(無量寿)とその浄土を観想することで,散善は浄土に往生する9種の方法(九品)を述べる。特にその最下(下品下生)において,悪人が称名念仏によって往生することを説き,中国・日本の浄土教に大きな影響を与えた。唐の善導の注釈《観無量寿経疏》4巻によって本経解釈の方向が定められた。日本においては法然が善導の解釈を受け入れて以来,〈浄土三部経〉の一つとして重視される。
執筆者:末木 文美士
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…牢内からの彼女の祈りにこたえて釈迦が現れ,この世に絶望して阿弥陀仏の浄土を願う妃に阿弥陀仏やその浄土を観想する方法を教える。このときの教えが《観無量寿経》であるとされる。【定方 晟】。…
…ちなみに,《観音経》には観音の姿がいかなるものであるかについての言及はない。ところが,浄土教経典の一つで中国撰述経と考えられている《観無量寿経》には,阿弥陀仏の脇侍としての観音の像容がかなり詳しく説かれている。 唐の高宗,則天武后の時期は,中国仏教の極盛期であるが,この時期には浄土教による西方浄土信仰が隆盛となり,観音像の造像は阿弥陀仏の脇侍の菩薩としての姿が目だつようになる。…
…ところで,《漢訳大蔵経》のなかで阿弥陀仏について説いている仏典は270余部で,大乗仏典全体の3割を占めていて,中国や日本では阿弥陀浄土の信仰が他の浄土教を圧倒して普及し,浄土教の名称を独占するかのごとき様相を呈するにいたる。この阿弥陀浄土をとくに説く浄土経典としては《般舟三昧(はんじゆざんまい)経》と《無量寿経》《阿弥陀経》《観無量寿経》のいわゆる〈浄土三部経〉がある。道安の弟子である東晋の慧遠(えおん)は,廬山の東林寺で僧俗123名と念仏結社,いわゆる白蓮社(びやくれんしや)の誓約をしたことで知られ,中国では慧遠を浄土宗(蓮社)の始祖と仰いでいる。…
…極楽浄土の情景を表す仏画は〈阿弥陀浄土変〉〈極楽浄土変〉〈西方変〉などと呼ばれ,中国では5世紀ごろから浄土教の重要主題として主に絵画によって表現される。これらのうち,とくに《観無量寿経》の教義内容を図解した阿弥陀浄土変を〈観無量寿経変〉(略して観経変)という。当麻曼荼羅は日本で最も広く流布した観経変の一つで,奈良時代にさかのぼる原本を伝える。…
…ときに48歳,以後没するまで玄中寺を中心として浄土教義の宣布につとめた。曇鸞にしたがい,〈浄土三部経〉(《無量寿経》《観無量寿経》《阿弥陀経》)を所依の経典とした。しかし,曇鸞の浄土教が《無量寿経》を重視する傾向が強かったのに対し,廃仏による還俗を強制され末法の時代が到来したと実感した道綽は,王舎城の悲劇に始まるという劇的構成をもち在家者の浄土往生の具体的方法を順序だてて提示する《観無量寿経》を重視して説法教化した。…
…また絵画として表現されるもののほかに彫像によって表現される来迎像もある。来迎図の教理的根拠は《無量寿経》所説の阿弥陀仏の四十八願中の第十九願において,大衆を救済するために臨終まぎわの往生者のもとに阿弥陀仏が諸尊を従えて来迎するという誓約にもとづくものであるが,さらに《観無量寿経》ではこれをいっそう発展させ,大衆の機根に応じて上品上生より下品下生にいたる九品(9通り)の往生すなわち来迎のあり方を説いている。このような経意にもとづいて表現されたのが阿弥陀来迎図であり,まず《観無量寿経》にもとづいて描かれた〈観無量寿経変〉(略して観経変と言う)の中に表された。…
※「観無量寿経」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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