漢文を日本語として読み下すために読み添える動詞活用語尾,助動詞,助詞を示す符号で,漢字の四周または字面の上につけたもの。・:‥など多くの形がある。符号の位置と形とによって読み方を定める。読み方は多くの流派によって相違する。簡単な片仮名の発達の十分でなかった平安時代極初期にあって,訓読を学びまた伝えるために,経典を汚さず,速く記入できる記号として発達した。もとは漢字の四すみなどに点をつけて四声や字義を示す中国の方式にヒントを得たらしい。奈良時代の確実な例は知られず,平安初期に奈良の華厳宗の僧がはじめ,法相宗,三論宗,天台宗,真言宗などに広まったらしい。博士家では後にこれを取り入れて自己の方式をたてたようである。平安時代にひろく行われたが鎌倉時代以後,片仮名の字体が統一されてきて広く一般に流通するようになると,〈ヲコト点〉はしだいに行われなくなり,室町時代以後ほとんど滅びた。〈ヲコト点〉は流派により用いる方式を異にするが,ことに平安時代の初期には多数の異なった方式が行われていた。中田祝夫は多数の古点本を研究し,その多数の方式もつぎの8群に類別できるとした。第1群点:西墓(にしはか)点・仁都波迦(にとはか)点,第2群点:喜多院点,第3群点:東大寺三論集点・中院僧正点,第4群点:天仁波流(てにはる)点,第5群点:円堂点・浄光房点・博士家点(経点,紀点),第6群点:禅林寺点・叡山点,第7群点:宝幢院(ほうどういん)点,第8群点:順暁和尚点など。また中田祝夫は,これらの諸点はさかのぼれば一元から出て多くに分かれたものと考えている。〈ヲコト点〉を図表にして示したものを点図といい,二つ以上の点図を集めたものを点図集という。秘点と称して,他人にわからないようにとしたのは中世以後のことである。〈ヲコト点〉を付した文献を点本という。〈ヲコト点〉の研究は明治以後において吉沢義則(《国語国文の研究》《点本書目》)によって開拓され,春日政治,遠藤嘉基(《訓点資料と訓点語の研究》)や中田祝夫(《古点本の国語学的研究》)および大坪併治,築島裕,小林芳規らによって大いに進められた新しい研究分野である。
執筆者:大野 晋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
漢文を訓読する際に、読み方を示すために、胡粉(ごふん)・朱・墨などで記入した・ | ― / \ 「 」 > = +などの符号。ヲコト点とも書く。乎古止点、乎己止点、遠古登点などはいずれも当て字。古くは単に点とよんだ。符号の形と記入する位置(漢字の四隅・中央など)によって読み方が決定される。乎古止点の方式には種々のものがあり、仏家(学僧)と博士家(はかせけ)(大学寮の儒学者)とでは形式を異にし、それぞれのなかでも宗派・流派によって違った方式(点法)を用いた。これらを集めて図示したものが「点図集」である。中田祝夫(のりお)は点図集所載の点法を八つのグループに大別し、第一群点から第八群点までとした。この分類は現在広く行われている。各群点に所属するおもな点法の名称をあげれば、第一群点――西墓(にしはか)点、第二群点――喜多院(きたのいん)点、第三群点――東大寺三論宗(さんろんしゅう)点、第四群点――天仁波流(てにはる)点、第五群点――円堂点・紀伝点・明経(みょうぎょう)点、第六群点――叡山(えいざん)点、第七群点――宝幢院(ほうどういん)点、第八群点――順暁和尚(じゅんぎょうわじょう)点、となる。乎古止点は、平安時代の初期(800ころ)に奈良の学僧によって考案されたらしい。当初は漢字漢文の読みを手早く書き入れるための実用的なものであったが、中世に入ると自説を他の流派に知られぬための秘密の符号と考えられたこともあった。平安時代には、仮名とともに漢文の訓点の記入に盛んに使用された乎古止点も、鎌倉時代に入るとしだいに衰え、江戸時代には一部を除いてほとんど用いられなくなった。
[月本雅幸]
『中田祝夫著『古点本の国語学的研究 総論篇』(1954・講談社)』▽『築島裕著『平安時代語新論』(1969・東京大学出版会)』▽『築島裕著『古代日本語発掘』(1970・学生社)』
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