乗福寺(読み)じようふくじ

日本歴史地名大系 「乗福寺」の解説

乗福寺
じようふくじ

[現在地名]山口市大字大内御堀

臨済宗南禅寺派に属し、山号は南明山、本尊聖観音

寺伝によると正和元年(一三一二)大内重弘が建立し、南禅なんぜん(現京都市左京区)の南院国師を開山としようとしたが、国師は辞して高足の門人廬峯を推した。しかし廬峯はまもなく没したので、同門の鏡空浄心が二世となり、直接住持となった。よって乗福寺ではこの三人を三代開山という(「寺社証文」所収乗福寺文書)。元応二年(一三二〇)開基の大内重弘が没し、乗福寺に葬られ、当寺を菩提寺とし法名を乗福寺殿道山浄恵大禅定門と諡した(大内系図)。建武元年(一三三四)勅願寺とする後醍醐天皇の綸旨が下された(乗福寺文書)。同四年には、虎関師錬が新鋳洪鐘の銘を作っている(済北集)。翌五年乗福寺は諸山に列せられ、南禅寺の清拙正澄はこれを賀し、偈一章を二世鏡空に寄せた(寺社証文)

鏡空が周防国に臨済の法幢を立ててから宗派は広まり、乗福寺は国初禅林と称された。伽藍の創建に際し夢窓国師が揮毫した扁額に、国初禅林・中国法窟・護法殿・瑠璃光殿・陽明堂・最高亭・竜淵窟・不老軒・護天地閣・山神堂・微妙塔・同照閣・水因三昧などがあったという(注進案)

乗福寺
じようふくじ

[現在地名]三条市月岡 表通

月岡つきおか集落のやや北部、字表通おもてとおり旧道に面して位置する。月光山威徳院と号し、真言宗智山派。本尊阿弥陀如来。元禄一〇年(一六九七)の御領分諸寺院開基其他(新発田市立図書館蔵)には天徳年間(九五七―九六一)の開基、永禄一一年(一五六八)伝雄法印の中興とある。

乗福寺
じようふくじ

[現在地名]藤沢市葛原

万年山昌寿院と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。長元二年(一〇二九)垂木御所(桓武平氏の一族で平忠望)の開基と伝え(「乗福寺縁起」当寺蔵)、平忠望は近世葛原くずはら村の領主長田氏の遠祖であるという(皇国地誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android