九品によって人を官につける法という意味で、中国で三国の魏(ぎ)の初めから隋(ずい)の初期まで(220~582)行われた官吏登用制度。九品官人法ともいわれる。魏は政府の官職を一品から九品までの等級(官品)に分かち、官品に従って待遇を定めた。次に地方の州・郡に中正という官を設け、中正は管内の任官志望の青年につき、その徳行、才能を審査し、一品から九品までの等級(郷品(きょうひん))をつけ内申書を作成した。政府が官吏を採用するにはおおむね郷品より四等下がった官位に初任し、これを起家(きか)という。たとえば郷品二品の者は六品官で起家する。それから昇進して官品が郷品と一致すると、それ以上に上がることができない。ただし、中正は起家後の官吏の品行を絶えず監視し、必要あれば内申書を訂正する義務がある。この法は尚書の陳羣(ちんぐん)の建議によったもので、情実に左右されず、個人の才徳によって官吏を登用することを目的としたが、現実には反対の結果を招いた。すなわち、有力者の子弟はすべて郷品二品と査定され、それがその家の既得権と化し、これに及ばない寒士との間に大きな断絶を生じた。次に家格二品のなかにも上下の差ができ、同一官品のなかでも上流者のつく清官と下流者のつく濁官との別が生じた。そこで政府の人事院(吏部)では貴族の系譜をそらんじて家格に従って官を与えるのが例となり、このような貴族制度は南朝の宋(そう)・斉(せい)のころが絶頂であった。以後しだいに衰え、隋の文帝によって九品官人法が廃止され、かわって科挙が用いられた。ただ官品制は引き続き清(しん)朝末まで行われ、日本にも輸入された。
[宮崎市定]
『宮崎市定著『九品官人法の研究』(1956・京都大学東洋史研究会)』
九品官人法ともいう。魏晋南北朝時代に行われた官吏登用法。220年魏が漢を奪うにあたって,尚書陳群(ちんぐん)の提案で始めたという。州郡に中正という官を置き,郷里の評判によって人物を九品(9等級)に分けて推薦する。これを郷品(きょうひん)といい,中央政府ではその郷品にみあった官吏の等級,すなわち官品を与えた。当時は豪族全盛の時代で,中正になるのはその地方の豪族であったから,豪族選挙の法と化し,豪族は社会的地位に応じた政治的地位を得,貴族政治を成立させた。他方南北朝の中頃より個人の才能が重視され,隋で科挙が始まるに至って廃止された。
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…中国,三国魏から隋初まで行われた官吏登用法。一品から九品にいたる品級で人を官につけるので九品官人法といったが,のちには九品中正制度ともいわれた。220年に曹操が没するや,子の曹丕(そうひ)(のちの魏の文帝)が後漢の献帝に迫って禅譲させ魏王朝を建てた際,漢の官僚を才能徳行に応じて新政府に吸収することを当面の目的として,魏王の尚書であった陳群(?‐236)の建議により実施され,その後も引きつづいて一般に官吏を登用するのに用いられた。…
※「九品中正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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