亀井貫一郎(読み)かめい かんいちろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

亀井貫一郎 かめい-かんいちろう

1892-1987 昭和時代の政治家。
明治25年11月10日生まれ。外務省にはいり,ニューヨーク総領事館勤務などをへて社会民衆党の結成に参加。昭和3年衆議院議員(当選4回)。7年社会大衆党の国際部長。新体制運動を推進し,大政翼賛会東亜部長。戦後は国際問題の評論で活躍。昭和62年4月7日死去。94歳。神奈川県出身。東京帝大卒。

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世界大百科事典 第2版の解説

かめいかんいちろう【亀井貫一郎】

1892‐1987(明治25‐昭和62)
政治家。神奈川県生れ。1917年東京帝大卒業後,外務省に入り,天津総領事館,ニューヨーク総領事館に勤務。同時に陸軍参謀本部の特別嘱託として情報活動を行う。24年日本労働総同盟に接近し,社会民衆党の設立に協力。28年同党から代議士となる(以後4回当選)。陸軍桜会,陸軍パンフレット作成などにも関与し,社会民衆党の後身,社会大衆党内の親軍派として活動する。37年以降,麻生久とともに新体制運動に深くかかわり,大政翼賛会政策局東亜部長。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

亀井貫一郎
かめいかんいちろう
(1892―1987)

政治家。島根県の伯爵家の出身で、1913年(大正2)東京帝国大学に入学、在学中に外務省嘱託となる。1917年卒業後、1926年まで外交官として外地に赴任し情報活動を行う。1926年社会民衆党国際部長に就任し、1928年(昭和3)以降、連続4期無産政党議員として衆議院の議席を占めた。その間、麻生久(あそうひさし)などとともに陸軍の幕僚ファッショのグループに接近し、その情報宣伝活動にも参画するとともに、日中全面戦争後の新党・新体制運動の無産政党側からの推進者となる。1940年10月大政翼賛会発足とともに東亜部長に就任、翌年の翼賛会第1回改組で辞任する。敗戦後公職追放されるが、連合国最高司令部中のG2(参謀第二部)とも関係をもち、社会民主主義右派の労働運動にも関与した。[赤澤史朗]
『日本近代史料研究会編・刊『亀井貫一郎氏談話速記録』(1970)』

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世界大百科事典内の亀井貫一郎の言及

【三月事件】より

…建川美次参謀本部第2部長をはじめ二宮治重参謀次長,杉山元陸軍次官,小磯国昭軍務局長ら宇垣周辺の陸軍首脳部は橋本らに呼応し,積極的に画策をすすめた。計画は参謀本部支那課長重藤千秋大佐が中心となって作成し,右翼の大川周明,社会民衆党の赤松克麿,亀井貫一郎らとも連携,徳川義親から20万円の資金をえた。計画では3月20日ごろ右翼・無産団体を動員して議会にデモをかけさせ,議会保護を名目として出動した軍隊の圧力により内閣を総辞職に追い込み,宇垣内閣を出現させる予定であった。…

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