日本大百科全書(ニッポニカ) 「亀井貫一郎」の意味・わかりやすい解説
亀井貫一郎
かめいかんいちろう
(1892―1987)
政治家。島根県の伯爵家の出身で、1913年(大正2)東京帝国大学に入学、在学中に外務省嘱託となる。1917年卒業後、1926年まで外交官として外地に赴任し情報活動を行う。1926年社会民衆党国際部長に就任し、1928年(昭和3)以降、連続4期無産政党議員として衆議院の議席を占めた。その間、麻生久(あそうひさし)などとともに陸軍の幕僚ファッショのグループに接近し、その情報宣伝活動にも参画するとともに、日中全面戦争後の新党・新体制運動の無産政党側からの推進者となる。1940年10月大政翼賛会発足とともに東亜部長に就任、翌年の翼賛会第1回改組で辞任する。敗戦後公職追放されるが、連合国最高司令部中のG2(参謀第二部)とも関係をもち、社会民主主義右派の労働運動にも関与した。
[赤澤史朗]
『日本近代史料研究会編・刊『亀井貫一郎氏談話速記録』(1970)』