亀戸天神社(読み)カメイドテンジンシャ

デジタル大辞泉 「亀戸天神社」の意味・読み・例文・類語

かめいど‐てんじんしゃ〔かめゐど‐〕【亀戸天神社】

亀戸にある神社祭神菅原道真で、相殿天穂日命あめのほひのみことを祭る。寛文3年(1663)大鳥居信祐おおとりいしんゆう筑前太宰府より勧請。1月25日の鷽替うそか神事は著名。東宰府天満宮亀戸天満宮

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日本歴史地名大系 「亀戸天神社」の解説

亀戸天神社
かめいどてんじんしや

[現在地名]江東区亀戸三丁目

江戸時代の亀戸町と亀戸村の境に鎮座。祭神は菅原道真・天菩日命。旧府社。「風土記稿」によれば、太宰府天満宮の神職菅原善昇一八世の孫大鳥居信祐が正保三年(一六四六)道真の霊示を被り、「十立ちて栄ふる梅の若枝かな」という発句を得て、道真が愛した飛梅で神像を造り、江戸に下って亀戸村にあった天満宮の小祠を修造して神像を勧請したという。現在地の南東方にあたり、その後周辺を武家地とすることになったため、奉行の徳山五兵衛・山崎四郎左衛門に願出て、寛文二年(一六六二)二月一九日松平信綱・久世広之の指揮のもとに現在地へ遷座した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「亀戸天神社」の意味・わかりやすい解説

亀戸天神社
かめいどてんじんしゃ

東京都江東(こうとう)区亀戸に鎮座。菅原道真(すがわらのみちざね)を祀(まつ)る。東宰府天満宮(ひがしさいふてんまんぐう)、亀戸天満宮ともいう。1663年(寛文3)8月25日、大鳥居信祐(おおとりいしんゆう)が太宰府(だざいふ)天満宮を分祠(ぶんし)したのに始まり、翌1664年、太宰府天満宮に倣って社殿を造営した。その後、朝廷崇敬が厚く、伝後水尾(ごみずのお)上皇宸筆(しんぴつ)の天神神号や霊元(れいげん)天皇宸筆の天神神詠などが社蔵されている。1677年(延宝5)には将軍徳川家綱(いえつな)が社参。1873年(明治6)府社に列して亀戸神社と号し、1878年に正式の社号として亀戸天神社と改めた。「亀戸の天神さま」とよばれ、学問の神として古くから江戸庶民の信仰を集めた。現在も1月25日の初天神祭には受験祈願でにぎわう。例祭は9月25日。1月24、25日の「鷽替(うそか)え神事」は有名。また境内の藤(ふじ)棚もよく知られる。

三橋 健]

『竹内秀雄著『亀戸天満宮史料集』(1977・亀戸天神社事務局)』

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デジタル大辞泉プラス 「亀戸天神社」の解説

亀戸天神社

東京都江東区にある神社。祭神は天満大神(菅原道真公)、天菩日命(あめのほひのみこと)。1662年に幕府から社地の寄進を受け、翌年太宰府天満宮を分祠したのが起源。梅・藤・菊など花の名所。「亀戸(かめいど)天神」「亀戸天満宮」とも。

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事典・日本の観光資源 「亀戸天神社」の解説

亀戸天神社

(東京都江東区)
東京十社」指定の観光名所。

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