二人比丘尼(読み)ニニンビクニ

デジタル大辞泉 「二人比丘尼」の意味・読み・例文・類語

ににんびくに【二人比丘尼】

仮名草子。2冊。鈴木正三しょうさん作。寛永9年(1632)ごろの刊か。戦乱で夫に死別した二人の尼により、仏の道を説く。

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精選版 日本国語大辞典 「二人比丘尼」の意味・読み・例文・類語

ににんびくに【二人比丘尼】

仮名草子。二巻。鈴木正三著。寛永九年(一六三二)頃成立。初刊未詳。万治一六五八‐六一)初年頃の刊本をはじめ数種の刊本がある。戦死した夫を弔おうとする若い妻が、世の無常・因果を悟って出家する話を基調に、蘇東坡の「九相詩」を翻案して導入し、仏理を説く。仏教者の立場より書かれた仮名草子の代表作の一つ。

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改訂新版 世界大百科事典 「二人比丘尼」の意味・わかりやすい解説

二人比丘尼 (ににんびくに)

仮名草子。鈴木正三(しようざん)著。2巻。1656年(明暦2)ごろ刊。《吉利支丹物語》《因果物語》《念仏草紙》など多くの著述をした正三の有名作の一つである。下総の須田弥兵衛が25歳で討死し,その妻は17歳で菩提を志す。ある御堂で20歳あまりの女に会い,2人ともに身の上話の後そこで暮らす。翌年女は死に,五七日まで死骸を見守ったがあさましき限りで,ついに妻女は寺入りし,ある老比丘尼に仕え大往生を遂げたという。この作には,蘇東坡の《九相詩》や一休和尚の《水鏡二人比丘尼》からの影響が考えられるが,一方《須田弥兵衛妻物語》という原拠らしい写本もある。〈ざんげ物〉という仏道鼓吹の近世小説に属するものである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「二人比丘尼」の意味・わかりやすい解説

二人比丘尼
ににんびくに

鈴木正三(しょうぞう)作の仮名草子。1660年(万治3)刊。戦死した須田弥兵衛(やへえ)の妻は、その戦場近くで美貌(びぼう)の未亡人と出会い、ともに夫を弔ううちに、その女が病死する。里人に埋葬を依頼したところ、遺骸(いがい)は野に放置されていたために、初七日に訪れると、五体は膨れただれて異臭を放っていた。二(ふた)七日には肉が破れ鳥獣の餌食(えじき)となり、やがて白骨になってしまう。このありさまに無常の理を悟り、尼となって修行のすえ往生した、という筋(すじ)で、蘇東坡(そとうば)の『九相詩(くそうし)』や一休の『一休骸骨』などの影響がみられる仏教的啓蒙(けいもう)文芸である。

[青山忠一]

『国書刊行会編『近世文芸叢書3 小説1』(1976・第一書房)』

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百科事典マイペディア 「二人比丘尼」の意味・わかりやすい解説

二人比丘尼【ににんびくに】

鈴木正三(しょうさん)作の仮名草子。1663年刊。二人の尼の問答,懺悔(ざんげ)話の中に仏教思想を織り込んだもの。蘇東坡の《九相詩》,一休作とされる《水鏡二人比丘尼》などの影響がみられる。
→関連項目仮名草子鈴木正三

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「二人比丘尼」の意味・わかりやすい解説

二人比丘尼
ににんびくに

仮名草子鈴木正三作。2巻。万治3 (1660) 年刊。戦乱によって夫に死別した2人の尼が仏教の教理を説く仏教教訓の書。尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺悔』 (1889) はこれに暗示を得ている。

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