植民地時代の朝鮮に1924年に設置された帝国大学。第2次朝鮮教育令下の学校制度整備の一環として,24年大学予科,26年法文・医学部が開設され,41年には理工学部も増設された。文部大臣の職務を朝鮮総督が代行し,内鮮共学制をとりながらも教職員の多数と学生の過半をつねに日本人が占めたこと,朝鮮の歴史,文化,社会の研究と教育を特色としたが,その多くは朝鮮民族に対する同化と差別を原理とするものであったことなど,その創設と拡充は,日本帝国主義の植民地支配・侵略戦争政策と固く結びついていた。45年日本の敗戦により閉鎖されたが,その施設などはソウル大学校に継承された。なお,1920年代初めから朝鮮の民族主義者を中心に,民立大学期成運動が展開されたが,総督府は延禧専門学校(現,延世大学校)や普成専門学校(現,高麗大学校)などの大学昇格を認めず,京城帝大は植民地期の朝鮮で唯一の大学であった。
執筆者:田中 征男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
日本統治下の朝鮮において1924年に設立された最初の近代大学で,日本が設置した6番目の帝国大学にあたる。2年制(1934年からは3年制)の予科と,法文学部,医学部,理工学部が設置された。ほかの帝国大学と同様に講座制が採られ,法文学部に49講座,医学部に27講座,理工学部に37講座が設けられた(いずれも1942年当時)。欧米諸国の植民地大学が応用的な教育を重視する傾向があったのに対し,京城帝国大学は学術研究に重きを置いた点で異色な植民地大学であった。入学機会は朝鮮人にも日本人にも開かれていたが,日本人学生が過半数以上を占め,とくに医学部の朝鮮人学生の割合は3割程度にすぎなかった。また教員のほとんどは日本人で,わずかな朝鮮人教員も低い職階にとどめられた。1945年に解放を迎えると,京城大学に名称が改められ,その後ほかの官私立専門学校とともに新設のソウル大学校に再編統合された。
著者: 松本麻人
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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