ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
伊勢商人
いせしょうにん
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江戸時代に、江戸、大坂、京都などの大都市で商業界に活躍した伊勢(三重県)出身の商人。伊勢は神宮の所在地であったため古来交通が開け、中世には伊勢湾の海上交通を背景に桑名(くわな)、安濃津(あのつ)(津)、大湊(おおみなと)などの港町が栄え、これらの港町の問屋、廻船(かいせん)業者のなかには、遠く東海、関東方面にまで往来する者もあった。また陸上では南近江(おうみ)(滋賀県)と北伊勢は国境を接し、八風(はっぷう)・千草(ちくさ)・鈴鹿(すずか)峠を越えて近江商人が盛んに往来していた。豊臣(とよとみ)政権の時代となり、1584年(天正12)蒲生氏郷(がもううじさと)が近江の日野(滋賀県蒲生郡日野町)から伊勢に移封され、松ヶ島(三重県松阪市内)に築城したが、4年後の88年松坂(松阪市)に居城を移し、城下町を経営した。このとき、松ヶ島の町人伊豆蔵(いずくら)、雲出蔵(くもずくら)、射和蔵(いざわくら)、鎌田蔵(かまだくら)、下蔵(しもくら)などとよばれる豪商たちを松坂に移したが、同時に日野商人の伊勢移住も許したので、伊勢商人の活動はその刺激を受けて一段と活発になった。1603年(慶長8)江戸幕府が開かれ、江戸市街の開発・建設が本格化すると、伊勢商人も地元特産の木綿、茶などを運んで江戸に進出した。松坂蔵方の一人である鈴木(伊豆蔵)や射和の富山(とみやま)(大黒屋)などは元和(げんな)年間(1615~24)ころ呉服店を開き、これに続いて松坂、津、桑名出身の商人たちも17世紀後半には江戸商業界に確固たる地位を占めるようになった。江戸では「江戸名物、伊勢屋稲荷(いなり)に犬の糞(くそ)」とか「表に懸(かか)り候のれんを見候へば、一町の内に半分は伊勢屋」(落穂集)といわれたほど伊勢商人が多かった。有力商人としては、日本橋大伝馬町(おおでんまちょう)に店を構えた川喜多(かわきた)、小津(おづ)、長谷川(はせがわ)などの木綿問屋が有名で、伊勢店(だな)といえば大伝馬町木綿問屋をさすものとされたが、そのほか三井(越後屋(えちごや))のように日本橋本町、駿河(するが)町へんに呉服店、両替店を開く者も多かった。伊勢商人は、大都市に進出後も本店は出身地に置き、各地の営業店を出店とする者が多く、その出店は男だけの世帯とする独特の店制をとっていた。
[村井益男]
『北島正元編著『江戸商業と伊勢店』(1962・吉川弘文館)』▽『中田易直著『三井高利』(1959・吉川弘文館)』
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
…門前町には宇治,山田,一身田(寺内町)などがあったが,参宮客を相手に栄えた古市のような遊興の町もあった。 伊勢の商人の中には,他国へも活動を拡大する者が多く,伊勢商人と呼ばれた。江戸初期には大湊から海運業者角屋(かどや)一家,度会郡から事業家河村瑞賢が出た。…
…江戸時代には市域の大部分は紀州藩領となり,松坂は紀州藩勢州領の一拠点であった。その間,周辺農村で生産された木綿を商う松坂商人の活躍は目ざましく,江戸に進出した伊勢商人の中核をなしたが,その代表は呉服商越後屋を営んだ三井家である。また参宮街道,和歌山街道,初瀬街道,熊野街道の合流点に当たったため宿場町としても栄え,現在JR紀勢本線,名松線,近鉄山田線,国道23号,42号,166号線,伊勢自動車道などが通り,商圏は中・南勢から熊野方面に大きく広がっている。…
※「伊勢商人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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