中世,とくに近世,近江商人とならんで江戸・大坂などで活躍した伊勢松坂等出身の商人。江戸時代〈江戸に多きものは伊勢屋,稲荷に犬の糞〉といわれるほど伊勢出身の商人が多く,その商業活動が目覚ましかったが,それは中世における伊勢商人の台頭や活躍と無関係ではなかった。中世の伊勢には東国に多数分布する伊勢大神宮領から送進される年貢物の集散や陸揚げを行う大湊など港津が発達し,また畿内と東国を結節する地理的条件に恵まれたため桑名のような自治都市の成立もみられ,多くの廻船業者,問屋が輩出した。安濃津(あのつ)(現,津市)も大神宮領からの年貢物の取扱い,さらには海外貿易港として発展し,山田の三日市・八日市には多数の市座商人や土倉がたむろし,活躍していた。これら商人の中には大湊の角屋氏のように海外貿易に進出するもの,後北条氏の城下町小田原に進出して住みつくもの,さらには遠く会津若松など東国に行商を行うものも現れた。1603年(慶長8)徳川家康が江戸に入り町割をして日本橋筋などが開かれると,小田原居住の伊勢商人や京都・堺などの商人が移住するようになった。松坂木綿(さらし,縞木綿)を扱う伊勢商人も次々に江戸に出店を構え,呉服物を取引した。彼らのうち松坂出身の三井・鈴木・殿村・小津・長谷川,射和(いさわ)出身の国分・竹川・家城,津出身の川喜多・田端屋(田中)・中条などはもっとも成功した伊勢商人として知られている。江戸の伊勢商人のうち木綿を取り扱う問屋は大伝馬町に,呉服・両替を営むものは本町に店を構えるものが多かった。中には木綿だけでなく西陣・唐反物といった絹織物を扱うものもあり,両替屋・質屋といった金融業を営むものも多かった。松坂出身の三井・小津・長谷川らは幕府の金銀御為替御用達をつとめている。度会(わたらい)郡鵜倉村出身の河村瑞賢は材木商となり,江戸の明暦の大火で巨利を博したが,幕命により江戸廻米のための東廻・西廻航路の開発に当たり,新田開発なども手がけたが,彼も伊勢商人のひとつのタイプといえよう。国元の津では城下町商人,松坂では蔵方商人,桑名では城下町商人,宿場商人,木材・米取引商人が中心的な商人であった。江戸などにおける伊勢商人の出店は男性だけで営業を営み,始末(倹約)第一の営業方針で注目をあびたといわれている。
執筆者:佐々木 銀弥
確実な史料によっても寛永期ころには伊勢の丹生(にう),射和,相可(おうか),松坂,津からの木綿を取り扱う商人の出店が大伝馬町1丁目に開店していることがわかる。後に豪富を誇った三井家にしても,本家筋にあたる三郎左衛門家が江戸本町2丁目に出店するのは寛永年間である。こうした伊勢商人の江戸進出は,決して孤立して行われたのでなく,相互の緊密な連携によっていたのである。三井家の江戸進出は,伊豆蔵,富山,家城,中川といったすでに江戸に進出している豪商たちと親類関係にあり,その引立てが大きな力となったことはいなめないだろう。のちに江戸で有力呉服商10人が集まって伊勢講を結んでいる。このメンバーは富山,伊豆蔵,家城,小野田,桜井,三井である。いずれも従兄弟または義兄弟の関係にある親戚集団であり,この講で親類間の同業組合が結成されたのである。伊勢木綿を携えて江戸へ売込みを図った松坂の小津・長井・長谷川,津の川喜田・田中といった商人は,17世紀後半に急速に成長してこれまでの荷受問屋を圧倒し,尾張,三河といった木綿生産地から直買いをする仕入問屋となっていったが,その過程で分家,別家を数多く木綿問屋仲間に加入させていった。その結果,大伝馬町1丁目は伊勢出身の木綿問屋ばかりになっていったのである。
伊勢商人は呉服屋,木綿問屋だけでなく,紙問屋,茶問屋,荒物問屋などが著名であった。のちに本居宣長を出した松坂の小津家は,木綿問屋,繰綿問屋のほか別名義で紙問屋,茶問屋,下り鰹節問屋を営み,江戸でも有数の問屋商人とうたわれた存在であるが,これらの大店に勤めていた奉公人たちが年季明けによってのれんを譲り受けて自立することが多かった。その場合,主家と同じ業種をえらぶことができず多様な商売に従事し,伊勢屋を名のることが多かった。
伊勢商人の店で働く奉公人たちはほとんど伊勢出身者で固めるのが多い。また台所で働く者は江戸者で,店のなかには女っ気がまったくない,完全な男世界であった。もっとも伊勢地方の農民や商人の子弟にとっては,江戸店に奉公し,のれん分けで自分の店がもてるという希望をもっていたから,厳しい勤務にも耐え抜くだけの魅力あるものだったろう。
伊勢商人の多くは,本家を伊勢に残したままのが多いが,三井や伊豆蔵のような呉服商の場合は京都に移しているのもいる。近江商人も同じような仕組をとっているが,伊勢商人の出店が三都に集中しているのに対し,東北,関東各地に出店しているのが多く,しかも商品売買だけでなく,質金融や地主経営も行っているというのがちがいともいえる。こうしたちがいをもちながら,伊勢商人も近江商人も,各出店から本家へ毎年2回の決算のたびごとに報告が出され,経営状況を把握できるようになっていることは同じである。
執筆者:松本 四郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸時代に、江戸、大坂、京都などの大都市で商業界に活躍した伊勢(三重県)出身の商人。伊勢は神宮の所在地であったため古来交通が開け、中世には伊勢湾の海上交通を背景に桑名(くわな)、安濃津(あのつ)(津)、大湊(おおみなと)などの港町が栄え、これらの港町の問屋、廻船(かいせん)業者のなかには、遠く東海、関東方面にまで往来する者もあった。また陸上では南近江(おうみ)(滋賀県)と北伊勢は国境を接し、八風(はっぷう)・千草(ちくさ)・鈴鹿(すずか)峠を越えて近江商人が盛んに往来していた。豊臣(とよとみ)政権の時代となり、1584年(天正12)蒲生氏郷(がもううじさと)が近江の日野(滋賀県蒲生郡日野町)から伊勢に移封され、松ヶ島(三重県松阪市内)に築城したが、4年後の88年松坂(松阪市)に居城を移し、城下町を経営した。このとき、松ヶ島の町人伊豆蔵(いずくら)、雲出蔵(くもずくら)、射和蔵(いざわくら)、鎌田蔵(かまだくら)、下蔵(しもくら)などとよばれる豪商たちを松坂に移したが、同時に日野商人の伊勢移住も許したので、伊勢商人の活動はその刺激を受けて一段と活発になった。1603年(慶長8)江戸幕府が開かれ、江戸市街の開発・建設が本格化すると、伊勢商人も地元特産の木綿、茶などを運んで江戸に進出した。松坂蔵方の一人である鈴木(伊豆蔵)や射和の富山(とみやま)(大黒屋)などは元和(げんな)年間(1615~24)ころ呉服店を開き、これに続いて松坂、津、桑名出身の商人たちも17世紀後半には江戸商業界に確固たる地位を占めるようになった。江戸では「江戸名物、伊勢屋稲荷(いなり)に犬の糞(くそ)」とか「表に懸(かか)り候のれんを見候へば、一町の内に半分は伊勢屋」(落穂集)といわれたほど伊勢商人が多かった。有力商人としては、日本橋大伝馬町(おおでんまちょう)に店を構えた川喜多(かわきた)、小津(おづ)、長谷川(はせがわ)などの木綿問屋が有名で、伊勢店(だな)といえば大伝馬町木綿問屋をさすものとされたが、そのほか三井(越後屋(えちごや))のように日本橋本町、駿河(するが)町へんに呉服店、両替店を開く者も多かった。伊勢商人は、大都市に進出後も本店は出身地に置き、各地の営業店を出店とする者が多く、その出店は男だけの世帯とする独特の店制をとっていた。
[村井益男]
『北島正元編著『江戸商業と伊勢店』(1962・吉川弘文館)』▽『中田易直著『三井高利』(1959・吉川弘文館)』
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中世末以後,諸国の城下町などに進出した伊勢国出身の商人。同国大湊・桑名・津は中世から交通の要地として商業が栄え,津の商人は後北条氏の小田原に出店していた。近江国日野から移封された蒲生氏郷(がもううじさと)が1588年(天正16)松坂に築城すると,伊豆蔵・雲出蔵・射和(いざわ)蔵などの伊勢の豪商や日野商人も松坂に来住した。江戸では,開府早々から日本橋周辺の町屋に小田原や松坂の伊勢商人が多数移住している。故郷の松坂木綿をはじめ尾州木綿・三州木綿を扱い,呉服類や両替商・質屋などもてがけ,店数の多さを利殖に巧みなことにあわせ,「伊勢屋稲荷に犬の糞」と皮肉られるほどになった。三井・川喜多・小津・長谷川・竹川の伊勢商人が有名。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…門前町には宇治,山田,一身田(寺内町)などがあったが,参宮客を相手に栄えた古市のような遊興の町もあった。 伊勢の商人の中には,他国へも活動を拡大する者が多く,伊勢商人と呼ばれた。江戸初期には大湊から海運業者角屋(かどや)一家,度会郡から事業家河村瑞賢が出た。…
…江戸時代には市域の大部分は紀州藩領となり,松坂は紀州藩勢州領の一拠点であった。その間,周辺農村で生産された木綿を商う松坂商人の活躍は目ざましく,江戸に進出した伊勢商人の中核をなしたが,その代表は呉服商越後屋を営んだ三井家である。また参宮街道,和歌山街道,初瀬街道,熊野街道の合流点に当たったため宿場町としても栄え,現在JR紀勢本線,名松線,近鉄山田線,国道23号,42号,166号線,伊勢自動車道などが通り,商圏は中・南勢から熊野方面に大きく広がっている。…
※「伊勢商人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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