伊達神社(読み)いだてじんじや

日本歴史地名大系 「伊達神社」の解説

伊達神社
いだてじんじや

[現在地名]和歌山市園部

古来志磨しま静火しずひ両社とともに紀三所きのさんしよ社と称される。祭神五十猛いたける命・神八井耳かむやいみみ命。旧郷社。「延喜式」神名帳の名草なくさ郡に「伊達イタチ神社」がみえ、名神大社。神階は、「続日本後紀」承和一一年(八四四)一一月三日条によれば従五位下から正五位下に、同書嘉祥三年(八五〇)一〇月二一日条では従四位下に、「三代実録」貞観元年(八五九)正月二七日条では正四位下に、同書貞観一七年一〇月一七日条では従三位にそれぞれ昇叙されている。「紀伊国神名帳」には正一位と記される。当社はこの伊達神社に比定されるが、「続風土記」には「享保の頃まても神名伊達神社なる事は世に明なれは、享保六年境内四至榜示禁殺生の制書を賜ふにも伊達社と書されしに、近世に至りて伊達の神名を他に移されて、此神を園部神社と称ふへき官命あり、是妄説を唱へて官を欺き、神明を誣る者の所為に出て信用すへきに非されは、今其誤を明弁す」と記されており、伊達神社の比定をめぐって争論があった。


伊達神社
だてじんじや

[現在地名]伊達市末永町

伊達市街の北側、気門別きもんべつ川東沿いに位置する。祭神は武甕槌命・経津主命・幸御魂命・伊達邦成命・田村顕允命、例祭日は九月一五日(北海道神社庁誌)。旧郷社。明治二年(一八六九)仙台藩亘理伊達家の伊達邦成が有珠うす郡支配を命ぜられ、同六年鎮守として故郷の宮城県亘理わたり鹿島かしま(現同県亘理町)鎮座の式内社鹿島天足和気かしまあまたるわけ神社の分霊を勧請し、社殿をのちの東紋鼈ひがしもんべつ村字幌美内ほろびない(現在の幌美内町)建立


伊達神社
だてじんじや

[現在地名]亀岡市宇津根町

旧丹後道筋にある。「延喜式」神名帳に記される桑田郡伊達イタテノ神(イタチノ)社」に比定される。祭神五十猛命、旧村社。

創建は明らかでないが、「盥魚」(「桑下漫録」所引)によれば、文治年中(一一八五―九〇)奥州の藤原秀衡の三男泉三郎忠衡が任により五年間在京した時、別荘が宇津根うつねにあり、任終えて帰国の際、村長の娘が懐妊していたので、鎧・太刀・黄金等を与えた。生れた娘がのちに社を建て、父忠衡の霊を祀ったのが当社といい、館を精舎とし鎧・太刀を収めたのが法蔵ほうぞう寺であるという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「伊達神社」の解説

伊達神社

宮城県加美郡色麻町にある神社。“伊達”は「いだて」と読む。祭神は五十孟神(いたけるのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)、武甕槌神(たけみかづちのかみ)。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

事典・日本の観光資源 「伊達神社」の解説

伊達神社

(宮城県加美郡色麻町)
ふるさとみやぎ文化百選 建造物とまちなみ編指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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