何晏(読み)かあん

精選版 日本国語大辞典 「何晏」の意味・読み・例文・類語

か‐あん【何晏】

中国三国時代の魏(ぎ)学者。字(あざな)は平叔。官は侍中尚書に進む。清談にふけり、その流行を作ったが、曹爽(そうそう)と結んだため、司馬懿(しばい)に殺された。編著に「論語集解(ろんごしっかい)」。(一九三頃‐二四九

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デジタル大辞泉 「何晏」の意味・読み・例文・類語

か‐あん【何晏】

[?~249]中国、三国時代のの学者。あざな平叔へいしゅく南陽えん河南省)の人。老荘の学を好み、王弼おうひつとともに玄学の風を開いた。めい帝に仕え列侯となったが、司馬懿しばいに殺された。著「論語集解ろんごしっかい」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「何晏」の意味・わかりやすい解説

何晏
かあん
(?―249)

中国、三国時代の魏(ぎ)の政治家。字(あざな)は平叔(へいしゅく)。宛(えん)(河南省南陽県)の人。漢の大将軍何進(かしん)(?―189)の孫。母の尹(いん)氏がのちに魏の武帝曹操(そうそう)の夫人となったので、幼いころより母とともに宮中に育ち、秀才誉れ高かったが、太子の服装をまねるなど倨傲(きょごう)な面があった。武帝からはかわいがられて帝の女(むすめ)の金郷公主を妻に迎えることを許された。しかし彼の不遜(ふそん)な態度は文帝(曹丕(そうひ))からは嫌われて官職につけなかった。明帝にも疎んじられて平凡な官職しか与えられず、官位には恵まれなかった。曹爽(そうそう)(?―249)が司馬懿(しばい)と権力を争うに及び、曹爽の力で尚書(しょうしょ)にまで累進し、官吏任用をつかさどったが、知人を多く抜擢(ばってき)したといわれる。『論語集解』の編纂(へんさん)のほか、『道徳論』『無名論』『無為論』や詩賦(しふ)など数十編の著述がある。その思想は『老子』を尊び、王弼(おうひつ)と並んで玄学の創始者となる。聖人には喜怒哀楽の情がないと唱えて、王弼と論争したことは有名な逸話である。

[小林正美 2016年1月19日]


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改訂新版 世界大百科事典 「何晏」の意味・わかりやすい解説

何晏 (かあん)
Hé Yàn
生没年:190-249

中国,魏の老荘哲学者。字は平叔。南陽(河南省)の人。後漢末の大将軍何進の孫にあたる。魏の王室とのつながりが深く,魏末期に王族の一人曹爽が政権を握ったときには,側近として重んぜられたが,司馬懿(しばい)のクーデタに遭って殺された。王弼(おうひつ)とともに魏・晋における老荘学,清談の開祖とされ,著書に《論語集解(ろんごしつかい)》10巻,《老子道徳論》2巻などがある。ことに前者は,《論語》注釈の古典として長く権威を保った。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「何晏」の意味・わかりやすい解説

何晏
かあん
He Yan

[生]初平1(190)
[没]嘉平1(249)
中国,三国時代の魏の学者。字は平叔。河南南陽の人。名門の出で魏の公主をめとり,侍中尚書となる。伊達男として浮華の名が高く,老荘思想を好み,清談の風を開いた。のち,曹爽らと反逆をはかって司馬懿に誅せられた。才知に秀で,詩文をよくした。著書『論語集解』 (10巻) 。

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世界大百科事典(旧版)内の何晏の言及

【玄学】より

…これらの書物は〈三玄〉とよばれた。前漢末の揚雄や後漢末の荆州の群雄である劉表(りゆうひよう)のもとにさかえた学団にその起源はもとめられるが,確立者は魏の何晏(かあん)や王弼(おうひつ)たちである。何晏は《論語》の注釈を,王弼は《老子》および《周易》の注釈を著し,天地万物の本体を〈無〉にもとめる形而上学の立場から,漢代の儒学にかわる哲学を樹立した。…

【論語集解】より

…中国,魏の何晏(かあん)(?‐249)の著書。10巻。…

※「何晏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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