中国、三国時代の魏(ぎ)の政治家。字(あざな)は平叔(へいしゅく)。宛(えん)(河南省南陽県)の人。漢の大将軍何進(かしん)(?―189)の孫。母の尹(いん)氏がのちに魏の武帝曹操(そうそう)の夫人となったので、幼いころより母とともに宮中に育ち、秀才の誉れ高かったが、太子の服装をまねるなど倨傲(きょごう)な面があった。武帝からはかわいがられて帝の女(むすめ)の金郷公主を妻に迎えることを許された。しかし彼の不遜(ふそん)な態度は文帝(曹丕(そうひ))からは嫌われて官職につけなかった。明帝にも疎んじられて平凡な官職しか与えられず、官位には恵まれなかった。曹爽(そうそう)(?―249)が司馬懿(しばい)と権力を争うに及び、曹爽の力で尚書(しょうしょ)にまで累進し、官吏の任用をつかさどったが、知人を多く抜擢(ばってき)したといわれる。『論語集解』の編纂(へんさん)のほか、『道徳論』『無名論』『無為論』や詩賦(しふ)など数十編の著述がある。その思想は『老子』を尊び、王弼(おうひつ)と並んで玄学の創始者となる。聖人には喜怒哀楽の情がないと唱えて、王弼と論争したことは有名な逸話である。
[小林正美 2016年1月19日]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…これらの書物は〈三玄〉とよばれた。前漢末の揚雄や後漢末の荆州の群雄である劉表(りゆうひよう)のもとにさかえた学団にその起源はもとめられるが,確立者は魏の何晏(かあん)や王弼(おうひつ)たちである。何晏は《論語》の注釈を,王弼は《老子》および《周易》の注釈を著し,天地万物の本体を〈無〉にもとめる形而上学の立場から,漢代の儒学にかわる哲学を樹立した。…
…中国,魏の何晏(かあん)(?‐249)の著書。10巻。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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