日本大百科全書(ニッポニカ) 「修学旅行専用電車」の意味・わかりやすい解説
修学旅行専用電車
しゅうがくりょこうせんようでんしゃ
修学旅行生の利用を念頭に設計・製造された鉄道車両、あるいはそれを使用した修学旅行生向けの団体臨時列車。
修学旅行における鉄道利用は1880年代からあり、20世紀に入ると初等・中等教育での団体臨時列車利用が一般化した。こうした形態は第二次世界大戦後にも引き継がれたが、たとえば東海道本線においては予備の客車を寄せ集めて使用することが多く設備は劣悪で、また手動ドアのため安全性が問題視されていた。さらに、所要時間も定期列車と比較して長かった。
1956年(昭和31)に東海道本線の全線電化が完成すると、修学旅行用列車についても電車化が計画された。1958年には品川―京都間で一般車両を使用した修学旅行用列車が先駆的に運転され、1959年度からは専用に新製された155系電車が導入された。これは、東京および関西の教育委員会や中学校長会などで組織された修学旅行用の委員会が修学旅行積立金を原資として鉄道債券を引き受けることで実現した。新たな専用列車は「ひので」(品川―京都)、「きぼう」(品川―神戸)と命名され、年間約120日間にわたり一定のダイヤで運行された。昼間に走る下り「ひので」の所要時間は約7時間で、当時の客車急行よりも速かった。利用は公立中学校が主体で、各学校は複数校で連合体を組み約800~1200名の団体となって同一列車を利用した。
1960年代に第一次ベビーブーム世代が中学卒業年齢を迎えるなか、こうした形態の車両調達および列車運行は全国に拡大した。車両は前記の155系のほか、電車の159系および167系、ディーゼル動車のキハ58系が導入された。いずれも当時の急行用車両に準じた設備を備え、「こまどり」「とびうめ」「おもいで」「わこうど」「友情」「なかよし」「わかあゆ」といった名称で運転された。一方、旧型車を用いた無名称の修学旅行専用列車も多数運転された。
1964年に東海道新幹線が開業すると修学旅行生もそちらへ徐々に移行し、「ひので」「きぼう」は1971年限りで運行を終了した。その他の列車も1970年代なかばまでに廃止され、車両も一般営業に転用された(「こまどり」のみ1993年まで運行)。このころから修学旅行が多様化し、複数校で同一行程となる専用列車の需要が減ったのも一因であった。今日でも修学旅行生向けの団体臨時列車自体はしばしば運転されるが、かつてのように専用車両による輸送はみられない。
日本国有鉄道(国鉄。のちJR)とは別に、近畿日本鉄道(近鉄)は1959年に修学旅行用電車20100系「あおぞら」を導入した。これは大阪・名古屋地区の小学生による伊勢(いせ)・志摩への修学旅行を想定した2階建て車両であり、1989年(平成1)まで使用された。今日では旧型の特急車両を団体用に転用した「あおぞらⅡ」などがあるが、とくに修学旅行用とは銘打っていない。同社は沿線に奈良・京都などの景勝地を擁するため他県からの修学旅行生が団体で利用する機会が多く、一般営業用の特急車両をあてる場合もある。このほか関東地方では東武鉄道で日光方面への修学旅行生による団体利用が多いが、専用車両が製造されたことはない。
[高嶋修一 2015年5月19日]
『三木理史「近畿日本鉄道と修学旅行輸送―「あおぞら号」神話の成立とその前後―」(『鉄道ピクトリアル No.826』2009年11月号所収・電気車研究会)』▽『山田亮「修学旅行と鉄道―参宮列車から「ひので」「きぼう」へ―」(『鉄道ピクトリアル No.826』2009年11月号所収・電気車研究会)』▽『山田亮「修学旅行と鉄道―新幹線・特急への移行と修学旅行列車あれこれ―」(『鉄道ピクトリアル No.827』2009年12月号所収・電気車研究会)』