借上(読み)カシアゲ

デジタル大辞泉 「借上」の意味・読み・例文・類語

かし‐あげ【借上】

鎌倉から室町初期、高利金銭を貸すこと。また、金銭を貸した金融業者。室町中期には土倉どそうとよばれる業者に移行。かりあげ。

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精選版 日本国語大辞典 「借上」の意味・読み・例文・類語

かし‐あげ【借上】

  1. 〘 名詞 〙 平安末~鎌倉時代、金銭を貸して高利を得ること。また、高利貸をする者。室町時代土倉(どそう)にあたる。かりあげ。
    1. [初出の実例]「或以上分米借上、是則非私之方計、偏為継絶之神事也」(出典:書陵部所蔵壬生文書‐保延二年(1136)九月日・明法博士勘文案)

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改訂新版 世界大百科事典 「借上」の意味・わかりやすい解説

借上 (かしあげ)

平安末期から南北朝期にかけての高利貸業者の呼称。語義については2説ある。第1は,高い利率で銭を借り上げることから起こったとするもの。第2は,出挙(すいこ)の和訳で,借は出(かし),上は挙(あげ)とする。史料上の初見は1136年(保延2)の明法博士勘文案で,近江国日吉(ひえ)神社の神人(じにん)が所領荘園からの上分米を預かり,これを諸人に出挙していたというもので,借り手には下級官人や受領層が多く見られる。《庭訓往来》に〈泊々借上,湊々替銭,浦々問丸〉とあるように,物資,貨幣の大量に流通する港湾都市などに高利貸業者が多く現れた。神人,山僧が高利貸付を行って諸人から厳しく利を責め取ることは,院政期から社会問題となっており,1127年(大治2)の法令に,神民,悪僧らの乱妨を停止すべしとみえるのをはじめ,1156年(保元1)の新制七箇条の中にも,興福寺,延暦寺,園城寺,熊野山,金峰山の悪僧らが出挙の利を貪っているとみえる。この3寺両山に祇園社と日吉社を加えた寺社が高利貸付を行っていた代表的なものとみられていた。1172年(承安2)の主殿(とのも)寮年預伴守方解によると,主殿寮が収納する油や大粮米について,土佐国の場合には,借上友連の代官有利なるものが主殿寮使として現地に下向し,備中国の場合には,借上の有末なるものが寮使として徴収に当たっていた。借上による年貢徴収の請負である。このような借上の活動は,鎌倉時代に入ると大きな政治問題となった。幕府御家人が借上に土地を奪われるのを防止しようとして,1239年(延応1)地頭が山僧ならびに商人借上を地頭代官に補任するのを禁止し,翌年,凡下(ぼんげ)の輩ならびに借上に御家人の私領を売り渡すことを禁じた。しかし,北条氏得宗被官の安東蓮聖のように,借上をかねて富を蓄える武士もあった。借上が強引に借銭の取りたてを行ったことから,横暴な行為を指して〈借上人の如し〉といった例がある。室町時代には借上の語は消滅して,もっぱら土倉(どそう)が高利貸業者の呼称となった。
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借上 (かりあげ)

江戸時代諸藩が財政窮乏の打開策としてとったもので,家臣の知行・俸禄の一部を藩が借り上げること。本来は,期限を設けた一時的借入れであり,返済を建前としていたが,時期が下るにしたがって,借上げの期限もなくなり恒常的なものとなり,返済されることもほとんどなくなり,減知同様のものとなっていった。借上の比較的早い例としては,1674年(延宝2)に始まった若狭小浜藩の事例があるが,江戸中期以降,多くの藩でこの政策がとられた。本多利明は,《経世秘策》のなかで,〈当時既に諸侯の家臣本禄を給はるはなし,半知以上の借揚げに遇ひて主を恨むること怨敵の如く〉といっている。このほか,藩が,船持商人などに与えていた入港税免許などの特権を一時的に停止することも借上といった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「借上」の意味・わかりやすい解説

借上(かしあげ)
かしあげ

鎌倉時代から室町時代初めの金融業者。高利、無担保で米銭を貸す。「かりあげ」「しゃくじょう」ともいう。借上の名は、古代~中世に利息をつけて貸付を行った「出挙(すいこ)」の和訳で、「借」は「出」から、「上」は「挙」から生まれたことばであるとも、あるいは身分の高い者が低い者から借用したことからおこった名ともいう。

 鎌倉時代の貨幣経済の発達につれて出現し、『庭訓往来(ていきんおうらい)』に、「泊々借上(とまりとまりのかしあげ)、湊々替銭(みなとみなとのかえせん)、浦々問丸(うらうらのといまる)」とあるように、港町に多くみられた。本所領家(ほんじょりょうけ)も、地頭御家人(じとうごけにん)も、経済的窮迫のため借上から米銭を借り、そのかわりに彼らに所領からの年貢徴収をまかせることも行われた。この場合、借上を代官に任ずる形をとることが多いが、その結果負債に苦しみ、地頭職(じとうしき)を失う御家人もあったので、幕府は1239年(延応1)これを禁止したが効果なく、その後も盛んに行われた。当時「山僧(さんそう)・借上」と並び称せられたように、延暦寺(えんりゃくじ)の下級僧侶(そうりょ)である山僧には、借上を業とする者が多かった。また女性の借上もかなりいた。鎌倉時代後期から土倉(どそう)または土蔵とよばれる倉庫をもつ高利貸業者である土倉が現れ、室町時代には担保貸付を行う土倉の称が一般化した。

[清水久夫]


借上(かりあげ)
かりあげ

借上


借上(しゃくじょう)
しゃくじょう

借上

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「借上」の意味・わかりやすい解説

借上
かしあげ

「かりあげ」ともいう。鎌倉時代から室町時代初期の高利貸業者の呼称。借上はおもに交通の便のよい港湾都市に発達した。最初は米を貸したが,貨幣経済の発達につれてもっぱら金銭を貸すようになった。経済的に窮乏した鎌倉御家人は,借上から借りた金を返済できずに所領を借上に奪われる者も少くなかった。鎌倉幕府は借上を地頭,代官にすることを禁じたり,借上などに所領を売却することを禁じたが効果がなかったので,徳政令 (→徳政 ) を出して質入れされている所領を御家人へ無償返却することを命じた。しかしこの徳政令は借上から御家人への金融のみちをとざすことになったので,翌年には廃止された。借上は徳政があっても返却しない旨の徳政文言を取って,所領を抵当にした御家人への融資を行なった。室町時代になると借上の呼称はすたれ,土倉 (どそう) と呼ばれるようになった。

借上
かりあげ

江戸時代,幕府および諸藩が財政窮乏対策のために行なった減俸政策。借上の名はあるが,実質的には減俸分の補填がのちになって行われることはなかった。借上の率や方法は多種多様であったが,高禄の者ほど借上率を高くし,この政策の武家階級の家計への影響が少くなるような配慮はなされた。しかし,それにもかかわらずこの政策が,武家階級の生活を著しく圧迫したことは事実である。享保年間 (1716~36) ,8代将軍徳川吉宗が行った借上はことに有名で,このときは切米 (きりまい) 100俵につき金4両の割合で行われた。

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百科事典マイペディア 「借上」の意味・わかりやすい解説

借上【かりあげ】

平安末期から南北朝期にかけての高利貸業者。〈かしあげ〉とも。鎌倉時代には地頭・御家人に無担保,高利で金を貸し付け,返済に苦しむ武士の経済を窮迫させた。室町時代には高利貸は土倉(どそう)と呼ばれた。
→関連項目悪党安東蓮聖有徳人高利貸

借上【かしあげ】

借上(かりあげ)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「借上」の解説

借上
かしあげ

中世前期の高利貸,またその業者。「上」は出挙(すいこ)の挙と同じ意味で,借して元金・利子を挙げさせる意からうまれた。荘園制下の交易・輸送などに従事し財力を蓄えた神人(じにん)・寄人(よりうど)などに多くみられる。巨大荘園領主だった山門(延暦寺)には,所領経営の実務に通じた下級僧侶である山僧が多く,京都の高利貸の主流となった。山僧は山門に集積された大量の米銭から融資をうけ,山門の威力を背景に債権回収を強行した。所領の経営能力を見込まれたり,貸付金回収の手段として,従来無縁の荘園領主や地頭にまで所領の代官請負契約を結ぶ例がふえた。鎌倉幕府は地頭所領の流出や山門の関与を嫌い,借上を地頭代官に任じることを禁じた。室町時代には高利貸は多く蔵をもち,土倉(どそう)・蔵本(くらもと)などとよばれた。


借上
かりあげ

1借上(かしあげ)

2借知(かりち)・借高とも。江戸時代,財政に窮乏した諸藩が,家臣の俸禄の一部を削減すること。慢性的な赤字財政に苦しむ諸藩は,財政再建策の最後の手段として,家臣の俸禄の一部を借り上げるという名目で,実質的にはその分を削減した。借上にあたっては削減率や対象となる家臣に条件をつけることもあったが,削減率が5割に達する半知の場合もあったため家臣の困窮を招いた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「借上」の解説

借上
かしあげ

鎌倉末期から室町初期にかけての金融業者
貨幣経済の進展とともに,凡下 (ぼんげ) (一般庶民)の中で富を蓄えた者が高利貸業を営んだ。しだいに,窮乏した御家人の所領をも蚕食するようになったので,鎌倉幕府は1239(延応元)年地頭が借上を代官とすることを禁じ,'40年には凡下借上が領地を買うことを抑制しようとしたが失敗。室町中期以降は土倉が金融業者の称呼として一般的に用いられ,借上の語は消滅した。

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