日本大百科全書(ニッポニカ) 「全日本自治団体労働組合」の意味・わかりやすい解説
全日本自治団体労働組合
ぜんにほんじちだんたいろうどうくみあい
地方自治体やその現業部門の地方公務員労働者を組合員とする全国組織の労働組合。略称自治労。組合員数約87万7000人(2011年3月)。ただし、地方自治体の現業部門のうち、公営交通は日本都市交通労働組合(都市交)に、水道は全日本水道労働組合(全水道)にそれぞれ組織されている。
日本労働組合総連合会(連合)加盟組合。1947年(昭和22)11月、日本都市労働組合同盟(都市同盟)と全国公共団体職員組合連合会(全公連)が統一して日本自治団体労働組合総連合(自治労連)を結成し、全国労働組合連絡協議会(全労連)に加盟していたが、1949年11月、民同(民主化同盟)派が分裂して全日本自治団体労働組合協議会(自治労協)を結成、日本官公庁労働組合協議会(官公労)、日本労働組合総評議会(総評)に加盟した。その後、組織再編運動とともに、1954年1月29日、自治労協、自治労連は組織統一を行い、自治労を結成、日本最大の単位産業別組合(単産)となった。全国組織としての地歩を確立したのは1960年代に入ってからである。
自治労はその組織対象の規模が都市によって大きく異なり、都道府県と市町村によって仕事の権能が違い、また職種も多い。そのため組織運営は難渋し、1960年代には産業別組織の強化を課題としつつ県本部(都道府県レベル)の指導体制を強める組織整備を行った。自治労は、1950年代なかばの地方財政危機の下では「住民と労働者にしわよせする財政再建反対」を掲げ、また日本公務員労働組合共闘会議(公務員共闘)の中心組合として、賃金闘争のほか、定年制反対闘争、労働基本権奪還闘争などを進め、1957年4月には第1回自治研究全国集会を開くなど民主的地方自治の確立を目ざした運動を展開し、今日に及んでいる。1970年代後半の地方財政危機の下では、自治体職員の人件費・退職金が問題化したことを背景に日本共産党が主張した「自治体職員は労働者であると同時に住民全体への奉仕を職務とする」という見解に反発し、論争が展開された。
自治労は、1980年代労働戦線統一の流れのなかで官公労組織のまとめ役を担い、1989年(平成1)の連合結成にむけて積極的役割を果たし、総評解散後は連合に参加した。しかし同年3月、自治労組織から分裂・分離した組織によって自治体労働組合全国連絡協議会が結成され、のち日本自治体労働組合総連合(略称自治労連。全労連に加盟)と改称し、自治労のライバルユニオンとなっている。
また、とくに1990年代、自治労は消防職員の組織化に取り組み、1995年5月に自治労委員長が自治大臣と会談し、各消防本部に消防職員委員会を設置して職員の意思疎通を図ることや消防職員の勤務条件などについて定期的に協議することで合意した。
さらに2006年(平成18)1月、自治労と連合加盟の全国一般労働組合が組織統合し、自治労全国一般評議会を結成した。なお、自治労は国際公務労働組合連盟(PSI)に加盟している。
[大野喜実・川崎忠文・早川征一郎]