八栗寺(読み)ヤクリジ

デジタル大辞泉 「八栗寺」の意味・読み・例文・類語

やくり‐じ【八栗寺】

香川県高松市牟礼町にある高野山真言宗の寺。山号は、五剣山四国八十八箇所第85番礼所。延暦年間(782~806)空海創建と伝える。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「八栗寺」の意味・読み・例文・類語

やくり‐でら【八栗寺】

香川県木田郡牟礼町にある高野山真言宗の寺。山号は五剣山。延暦年間(七八二‐八〇六)空海の創建と伝えられる。正保年間(一六四四‐四八松平頼重再建。四国八十八箇所の第八五番札所。八国寺。八栗聖天。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本歴史地名大系 「八栗寺」の解説

八栗寺
やくりじ

[現在地名]牟礼町牟礼

五剣ごけん(三六六・二メートル)の中腹にある。西にだんうらの入江を隔てて屋島があり、高松平野が広がる。東は眼下志度しど湾から遠く播磨灘を望む。五剣山千手院と号し、高野山真言宗。本尊聖観音。四国霊場八十八ヵ所八五番札所。「御領分中寺々由来」には八国やくに寺とあり、山頂から八ヵ国を見渡すことができたので八国寺と称したという。寺伝によると、宝亀年中(七七〇―七八一)空海がまだ幼少の頃この山に登り、泥土で三千仏・十王仏を作り、延暦二三年(八〇四)入唐に先立って仏殿を造営、自作の聖観音像を安置、栗八つを埋めて入唐を祈願した。帰国後登山してみると、埋めた栗が大樹に生長していたので八国寺を改め八栗寺とし、六萬ろくまん寺の奥院にしたという。天正年間(一五七三―九二)長宗我部勢の兵火により焼失、文禄三年(一五九四)無遍が本堂を再建した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「八栗寺」の意味・わかりやすい解説

八栗寺
やくりじ

香川県高松(たかまつ)市にある高野山真言(こうやさんしんごん)宗の寺。五剣山千手院と号し、四国八十八か所霊場第85番札所。本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)。延暦(えんりゃく)年間(782~806)空海の創建と伝える。寺号は初め山頂から8か国を見渡せたところから八国寺と称したが、空海が入唐(にっとう)祈願のため埋めた焼き栗8個が、帰朝後大樹に成長していたので八栗寺と改めた。その後、天正(てんしょう)年間(1573~92)長宗我部元親(ちょうそがべもとちか)の兵火で諸堂を焼失、正保(しょうほう)年間(1644~48)松平頼重(よりしげ)が本堂等を再建した。境内の聖天(しょうてん)堂には空海作といわれる聖天像があり、参拝者が絶えない。また、空海が唐から請来(しょうらい)したと伝えられる菩提樹(ぼだいじゅ)の老木もある。

[眞柴弘宗]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル大辞泉プラス 「八栗寺」の解説

八栗寺(やくりじ)

香川県高松市にある寺院。真言宗。山号は五剣山。本尊は聖観世音菩薩。延暦年間に空海が創建と伝わる。四国八十八ヶ所霊場第85番札所。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の八栗寺の言及

【五剣山】より

…上部にのる凝灰角レキ岩の差別浸食の結果,5本の剣が天にそびえるような奇岩をなし,うち1本は崩壊したという。八合目付近に四国八十八ヵ所85番札所八栗寺があって参詣客が多く,ケーブルカーが第2次世界大戦前から設置されている。中腹には石切の丁場が70もあり,庵治石の産地で,西麓には加工業者が数百軒並び,灯籠や墓石が展示されている。…

【牟礼[町]】より

…五剣山西麓から産する庵治石を加工する石材業,土管,煉瓦,瓦,コンクリートブロックなどを生産する窯業などの地場産業があり,臨海土地造成事業により石材工業団地,陶管工業団地が建設された。瀬戸内海国立公園に属する五剣山には四国八十八ヵ所85番札所八栗(やくり)寺があり,ケーブルカーが通じる。西部の高松市との間の入江は壇ノ浦で,六万寺,洲崎寺をはじめとして源平合戦にちなむ史跡が多い。…

※「八栗寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」