八橋流(読み)ヤツハシリュウ

デジタル大辞泉 「八橋流」の意味・読み・例文・類語

やつはし‐りゅう〔‐リウ〕【八橋流】

箏曲流派の一。天和貞享(1681~1688)のころ八橋検校筑紫流箏曲を基礎にして創始八橋孫弟子生田検校が、生田流を創始して以来衰微した。大阪・信州松代まつしろ沖縄にその芸系の八橋流が現存する。

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精選版 日本国語大辞典 「八橋流」の意味・読み・例文・類語

やつはし‐りゅう‥リウ【八橋流】

  1. 〘 名詞 〙 筑紫箏および三味線流儀一つ。天和・貞享(一六八一‐八八)の頃、八橋検校が筑紫流箏曲を基礎にしてはじめたもの。この流派から生田検校が出、生田流を創始して以来八橋流は衰えた。大阪・信州松代・沖縄にその芸系の八橋流が現存する。〔糸竹初心集(1664)〕

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八橋流」の意味・わかりやすい解説

八橋流
やつはしりゅう

箏曲の流儀名。 (1) 八橋検校または北島検校までの伝承を後代から区別していう。古八橋流ともいう。 (2) 八橋から城追座頭,豊都座頭を経て佳川検校へと伝えられ,大坂で広がったものをいう。新八橋流ともいう。佳川の門下亀崎亀島検校,粂園勾当がおり,亀崎からは菊島勾当,真芝,野村玉崎,また亀島からは松本,小野村生島,岩島と伝えられている。亀崎は天保 10 (1839) 年から,小野村は同 13年からそれぞれ職検校をつとめていたので,京都にも伝承された可能性はある。佳川の伝によって亀崎,亀島らの校訂したものに『琴の組 (八橋流琴曲) 証歌集』 (1777) がある。文化2 (1805) 年以来刊行の『歌曲時習考 (さらえこう) 』付載の組歌目録では他流が曲名だけなのに対し,八橋流 (藤永2世校訂?) は歌詞も収録している。また大坂で刊行されている組歌本のほとんどは八橋流のみといえる。現在,この組歌のうち他流にない曲では秘曲『八重垣』『飛梅』が伝えられている。 (3) 八橋ののち 12代の岩崎検校から上宅,八幡,信州松代の有一座頭,千勢女,喜尾女,伊予女,由婦女を経て,1909年真田 (さなだ) しんに伝えられた伝承をいう。

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改訂新版 世界大百科事典 「八橋流」の意味・わかりやすい解説

八橋流 (やつはしりゅう)

箏曲・地歌の流派名。生田流,継山流などの流派が成立した時点で,八橋検校時代のものを〈八橋流〉または〈古八橋流〉という。それとは別に,大坂において八橋門下の城追座頭以降の伝承を,とくに〈新八橋流〉または〈八橋流〉ともいう。また各地で,八橋検校以来の古伝を守っていることや,筑紫箏(筑紫流)とは異なることを主張する場合などに,八橋流と称し,沖縄流伝の箏曲でも,そうした呼称を用いることもある。松代の真田藩に伝承された箏曲も八橋流を称するが,その伝承の系譜に明らかでないところがある。なお,八橋検校の三味線も八橋流と称したが,八橋以後の伝承は明らかでない。
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世界大百科事典(旧版)内の八橋流の言及

【箏曲】より

…京都では,八橋門下の北島検校から伝承を受けた生田検校以降の伝承を中心として,これを生田流と称したが,大坂では,生田流以外に,継山(つぐやま)検校以降の伝承による継山流もあって,現在にまでその伝承は続いている。ほかに,かつては新八橋流と称する派もあり,また,生田流でも,市浦検校以降の系統を新生田流と称することもあった。京都でも,安村検校(?‐1779)の伝承による安村流や,藤池検校の伝承による藤池流などが一時存在した。…

※「八橋流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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