改訂新版 世界大百科事典 「公州」の意味・わかりやすい解説
公州 (こうしゅう)
Kongju
韓国,忠清南道中央部の郡。人口16万7406(1980)。中央を貫流する錦江の流域平野が広く発達している。また,南は鶏竜山,北は車嶺山脈が外界と隔てる天然の要塞地で,古代百済王朝の首都となったことがあるため,一帯には武寧王陵,公山城などの遺跡,甲寺などの大寺院が多数ある。平野部では稲作,また丘陵地では果樹,養蚕が盛んで,明紬の産地として有名である。人口4万をこえる市街地を発達させている中央部の公州邑は,ソウルから穀倉地帯へ至る陸路,また錦江によって黄海へ至る水路交通の要衝にあたり,1927年に大田へ道庁が移されるまで,忠清南道の行政・商業の中心地であった。地方都市にしては大学など教育施設が多く,文教都市として知られている。遺跡めぐりや鶏竜山など観光資源にも恵まれ,韓国の代表的観光地の一つである。
執筆者:谷浦 孝雄
遺跡
公州邑は百済の文周王1年(475)に,漢山城から遷都した熊津(ゆうしん)(熊川)にあたる。その後,聖明王16年(538)に泗沘(しひ)(現,扶余)に遷都するまでの5代63年間にわたって,百済中期の国都であった。公州の北東には,錦江(白馬江)に面する独立した小丘陵に公州公山城があって,東西約800m,南北約300mの城郭をつくる。公山城の東・西には小規模な補助山城を備える。公山城を含み,周囲の山を取り囲んで羅城があったとする説もあるが,はっきりしない。公山城の内部では礎石,瓦,陶器が出土し,建築跡が見つかっていて,王宮説も出ている。これまで,王宮跡は公山城の南ないし東側の平地と推定されてきたが,はっきりしていない。また公州では,平地部に大通寺,丘陵部に石窟をもつ西穴寺などの仏教寺院跡も知られる。ともに,中門,塔,金堂および講堂が一直線に並ぶ一塔式(四天王寺式)の伽藍配置である。公州におけるもう一つの重要な遺跡は古墳であり,公州を囲む丘陵地帯の傾斜面から山麓にかけて横穴式の墓室が築かれ,その数は1000基を超すといわれる。なかでも公州の街の北西方にある宋山里古墳群は,武寧王をはじめとする熊津時代の王陵および王陵級のものである。宋山里古墳群から約1km南西方に遠望できる熊津洞の古墳群も,百済国中枢部にいた人々の墓地であろう。
執筆者:西谷 正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報