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大仏開眼供養 だいぶつかいげんくよう

大辞林 第三版の解説

だいぶつかいげんくよう【大仏開眼供養】

大仏の開眼を供養すること。752年の東大寺盧遮那仏の場合が特に有名で、この際に使用された器物が正倉院に多く収められている。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大仏開眼供養
だいぶつかいげんくよう

とくに奈良東大寺大仏の入眼の儀式をいう。一般に大仏とは丈六(約4.8メートル)以上の巨像をいい、新造の仏像・仏画に眼(め)を入れ霊を迎えるのが開眼供養である。東大寺の大仏の開眼供養は数回行われているが、その最初は752年(天平勝宝4)4月9日に孝謙(こうけん)天皇、聖武太上(しょうむだいじょう)天皇、光明(こうみょう)皇太后らが臨席して、インド僧の菩提僊那(ぼだいせんな)によって行われた。文武百官、僧1万人が参列、五節(ごせち)・久米(くめ)・楯伏(たてふし)・踏歌(とうか)などの歌舞があり、仏法東帰以来初めての盛大な斎会(さいえ)といわれた。そののち東大寺は1180年(治承4)12月28日に平家により焼打ちされたため、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)は源頼朝(よりとも)らの協力を得て復興、1185年(文治1)8月27日に後白河(ごしらかわ)法皇によってふたたび盛大な開眼供養が営まれた。次に第3回目は、1567年(永禄10)に松永久秀(ひさひで)によって大仏殿が焼かれて以来、露仏となっていたのを、江戸時代に公慶上人(こうけいしょうにん)が大仏尊像を修理鋳造して、1692年(元禄5)開眼供養が営まれた。[平岡定海]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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