とくに奈良東大寺大仏の入眼の儀式をいう。一般に大仏とは丈六(約4.8メートル)以上の巨像をいい、新造の仏像・仏画に眼(め)を入れ霊を迎えるのが開眼供養である。東大寺の大仏の開眼供養は数回行われているが、その最初は752年(天平勝宝4)4月9日に孝謙(こうけん)天皇、聖武太上(しょうむだいじょう)天皇、光明(こうみょう)皇太后らが臨席して、インド僧の菩提僊那(ぼだいせんな)によって行われた。文武百官、僧1万人が参列、五節(ごせち)・久米(くめ)・楯伏(たてふし)・踏歌(とうか)などの歌舞があり、仏法東帰以来初めての盛大な斎会(さいえ)といわれた。そののち東大寺は1180年(治承4)12月28日に平家により焼打ちされたため、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)は源頼朝(よりとも)らの協力を得て復興、1185年(文治1)8月27日に後白河(ごしらかわ)法皇によってふたたび盛大な開眼供養が営まれた。次に第3回目は、1567年(永禄10)に松永久秀(ひさひで)によって大仏殿が焼かれて以来、露仏となっていたのを、江戸時代に公慶上人(こうけいしょうにん)が大仏尊像を修理鋳造して、1692年(元禄5)開眼供養が営まれた。
[平岡定海]
752年(天平勝宝4)4月9日,東大寺で行われた盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)の開眼のための法要。良弁(ろうべん)僧正の先導で聖武太上天皇・孝謙天皇以下,文武の官人が参列し,元旦の儀式のように行われたという。開眼導師はインドの婆羅門(ばらもん)僧の菩提僊那(ぼだいせんな)が勤め,参列者は開眼筆に結ばれた藍染の開眼縷(かいげんる)を握り,開眼に加わった。日本・唐・高句麗・ベトナムなどの舞曲が行われ,仏教伝来後最大の盛儀とされた。この法要に使われた種々の法具・衣類・楽器などが正倉院宝物の一部として伝わる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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