六十里越街道
ろくじゆうりごえかいどう
山形から北西に向かい、月山中腹の南西部を経て、庄内の鶴岡に至る街道。庄内と村山地方の境界をなす大岫峠(「おおぐき」とも称する。標高一一四〇メートル)を中心に、月山山中の急坂が続く西村山郡西川町本道寺と東田川郡朝日村大網との間が六町一里の単位で六〇里あるところから、街道の名がつけられたとされる。古代には庄内に置かれた出羽国府と最上・置賜の各郡衙を結ぶ道、また古くは庄内の塩を内陸に運ぶ道として利用されたといわれるが、のちにはもっぱら出羽三山の参詣道として賑った。近世の経路は山形城下下条町から内表・中野(現山形市)を経て、須川の河岸が置かれた船町(現同上)を通り、長崎(現東村山郡中山町)で最上川を渡河、寒河江を経て白岩(現寒河江市)に出、寒河江川沿いに海味・水沢・本道寺・砂子関・志津(現西村山郡西川町)から大岫峠を越え庄内に入り、田麦俣・大網(現朝日村)・松根(現東田川郡櫛引町)と梵字川・赤川沿いに下り、松根で赤川を渡り、山添(現同上)・外内島(現鶴岡市)を経て鶴ヶ岡七軒町で鶴ヶ岡城下に入った。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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