日本歴史地名大系 「六郷渡」の解説
六郷渡
ろくごうのわたし
現在の六郷橋よりやや下流にあった川崎宿と対岸の
東海道の整備に伴い、慶長五年(一六〇〇)七月多摩川河口の六郷川に木橋が架けられた。その後同一八年四月、寛永二〇年(一六四三)五月・寛文元年(一六六一)七月・同二年二月・同一一年八月・同一二年五月・同年九月と度々破損修復が繰返されたが(徳川実紀)、元禄元年(一六八八)七月二一日の洪水による流失以降渡船が利用されることとなった(文久三年「六郷渡船濫觴同作法大概書抜」森文書)。木橋流失直後は幕府が荏原郡
六郷渡
ろくごうのわたし
現在多摩川に架かる六郷橋よりやや下流にあった
関ヶ原合戦前夜の慶長五年(一六〇〇)七月、六郷橋(木橋)が架けられたが、同一八年をはじめ、何度となく大雨によって流失、修復を繰返した(徳川実記)。しかし元禄元年(一六八八)七月二一日の氾濫で流失してからは、渡船に代わった。初めのうちは
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報