兼載(読み)けんさい

精選版 日本国語大辞典 「兼載」の意味・読み・例文・類語

けんさい【兼載】

  1. いなわしろけんさい(猪苗代兼載)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「兼載」の意味・わかりやすい解説

兼載
けんさい
(1452?―1510)

室町中期の連歌師(れんがし)。耕閑軒、相園坊と称した。会津の名族猪苗代(いなわしろ)家の出で、青年時代に関東流寓(りゅうぐう)中の心敬(しんけい)に師事して、多大の影響を受けた。1475年(文明7)ごろ上洛(じょうらく)し、宗祇(そうぎ)の支援を得て連歌師宗春として活躍を開始したが、のち兼載と改名した。89年(延徳1)北野会所奉行(ぶぎょう)、宗匠(そうしょう)に就任、宗祇およびその門下たちとともに、『新撰莵玖波集(しんせんつくばしゅう)』(1495)を編集した。晩年は主として関東に在住し、下総国(しもうさのくに)古河(こが)(茨城県古河市)に没した。享年は59歳と推定されている。その作品は、新鮮で鋭い感覚の句や知的な表現において特色を有するが、「霧に明けゆく志賀のから崎」の前句に、「秋の夜のながらの山に鐘なりて」と付けた、幽玄な風趣を有する句も詠んでいる。その句集に、『園塵(そののちり)』第1集~第4集、連歌論書に、『心敬僧都庭訓(そうずていきん)』『連歌延徳(えんとく)抄』『若草山』『梅薫(ばいくん)集』その他がある。その嗣子(しし)兼純(けんじゅん)は伊達(だて)家に仕え、その子孫兼如(けんにょ)以後は代々、伊達家の連歌師として幕末に及んでいる。

木藤才蔵

『金子金治郎著『連歌師兼載伝考』(1962・桜楓社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「兼載」の意味・わかりやすい解説

兼載
けんさい

[生]享徳1(1452)
[没]永正7(1510).6.6. 古河
室町時代の連歌師。猪苗代式部少輔盛実の子。耕閑軒,相園坊ともいう。文明1 (1469) 年関東下向中の心敬に師事,同7年頃までに京都に上り,以後中央連歌壇で活躍する一方,山口に2回下向し,関東にも幾度か下るなど,各地で会席に出席した。延徳1 (89) 年宗祇のあとをうけて,連歌奉行となり,『新撰菟玖波集 (つくばしゅう) 』の撰集には宗祇に協力。文亀1 (1501) 年磐城に帰住,翌年の宗祇の死の際には,箱根に駆けつけて長歌を詠んだ。子孫は伊達家の連歌師となる。句集『園塵 (そののちり) 』 (1502) などのほか,『薄花桜』 (1492) ,『若草山』 (97頃?) ,『兼載雑談』 (1510) ,『景感道』 (10) などの連歌論書があり,古典研究書もある。

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改訂新版 世界大百科事典 「兼載」の意味・わかりやすい解説

兼載 (けんさい)
生没年:1452-1510(享徳1-永正7)

室町後期の連歌師。猪苗代氏。初名は宗春。会津の出身。青年期に東国へ流寓していた心敬,宗祇に学ぶ機会を持ち,20代の半ばころ京都へ出て活動し,38歳のとき北野連歌会所奉行となる。宗祇とともに《新撰菟玖波(つくば)集》の編集に当たり,1495年(明応4)完成するが,編集方針などで宗祇と確執があったことでわかるように,宗祇といろいろな意味で対立的な立場にあった。句集に《園塵(そののちり)》があり,連歌作品にも多く名をとどめている。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「兼載」の解説

兼載 けんさい

猪苗代兼載(いなわしろ-けんさい)

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