無関普門(読み)ムカンフモン

デジタル大辞泉 「無関普門」の意味・読み・例文・類語

むかん‐ふもん〔ムクワン‐〕【無関普門】

[1212~1292]鎌倉時代臨済宗の僧。信濃の人。京に上り、円爾えんに師事。のち入宋して帰国後、東福寺3世を継いだ。また南禅寺開山諡号は仏心禅師・大明国師

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精選版 日本国語大辞典 「無関普門」の意味・読み・例文・類語

むかん‐ふもんムクヮン‥【無関普門】

  1. 鎌倉時代の臨済宗の僧。諱、普門道号無関。信濃の人。京に上り、円爾(えんに)に師事。のち入宋して帰国後、東福寺三世を継いだ。また、南禅寺を開山。諡号、仏心禅師・大明国師。(一二一二‐九一

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改訂新版 世界大百科事典 「無関普門」の意味・わかりやすい解説

無関普門 (むかんふもん)
生没年:1212-91(建暦2-正応4)

鎌倉中期の臨済宗聖一(しよういち)派の僧。諱(いみな)は玄悟,房号を普門という。信濃国(長野県)に生まれた。13歳のとき,越後国正円寺で得度,1230年(寛喜2)上野国長楽寺の釈円房栄朝に参じ,菩薩戒を受け,顕密の二教を学んだ。のち,帰朝間もない東福寺の円爾弁円えんべんえん)の会下(えか)に入り,5年の修禅ののち,51年(建長3)40歳にして入宋。浄慈(じんず)寺の断橋妙倫(だんきようみようりん)に参じて奥旨を極めた。在宋12年,62年(弘長2)帰国し,東福寺の円爾に再謁ののち,鎌倉寿福寺の蔵叟朗誉(ぞうそうろうよ)の会下に入り,さらに越後に帰った。81年(弘安4)東福寺2世東山湛照が退隠すると,請われて3世として入寺した。この間,亀山法皇は深く無関に帰依し,91年(正応4)離宮禅林寺殿を禅院に改め,無関を開山に請じた。これが南禅寺である。彼は東福寺と南禅寺を両摂したが,その年の12月12日東福寺において没した。嘉元年中(1303-06)勅して仏心禅師,1323年(元亨3)後醍醐天皇から大明(だいみん)国師の号が追諡(ついし)された。著書や語録はない。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「無関普門」の意味・わかりやすい解説

無関普門
むかんふもん
(1212―1291)

鎌倉時代の臨済(りんざい)宗聖一(しょういち)派の僧。竜吟(りょうぎん)門派の祖。諱(いみな)を玄悟、普門房と称した。信濃(しなの)(長野県)の人で、初め越後(えちご)(新潟県)正円寺の寂円に就(つ)き、19歳で上州(群馬県)長楽寺の釈円栄朝(1165―1247)に師事、上洛(じょうらく)して円爾(えんに)に参じ嗣法(しほう)する。ついで入宋(にっそう)、断橋妙倫(だんきょうみょうりん)(1201―1261)らに参じ在宋12年ののち帰朝。1281年(弘安4)東福寺3世となる。亀山(かめやま)上皇は東山の離宮禅林寺殿を禅院として無関に施捨(せしゃ)、これが後の南禅寺である。これを契機に禅宗と宮廷がいっそう接近し、禅宗発展の基礎となった。正応(しょうおう)4年12月12日示寂。諡(おくりな)は大明(だいみょう)国師。

[石川力山 2017年10月19日]

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旺文社日本史事典 三訂版 「無関普門」の解説

無関普門
むかんふもん

1212〜91
鎌倉後期の臨済宗の僧。南禅寺の開山
無関は号。勅諡は仏心禅師・大明国師。信濃の人。円爾弁円の弟子。入宋し,12年ののち帰国。亀山上皇の帰依をうけ,亀山離宮を賜り,太平興国南禅寺とした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「無関普門」の解説

無関普門 むかん-ふもん

無関玄悟(むかん-げんご)

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