日本歴史地名大系 「円覚寺跡」の解説
円覚寺跡
えんかくじあと
首里城
当寺は第二尚氏王統の菩提を弔うため、尚真王の発願により弘治五年(一四九二)着工、同七年に完成した。創建当時の伽藍は荒神堂・寝室・方丈・仏殿・法堂・山門(三門)・両廊および僧房、厨庫・浴室・鐘楼・鼓閣などがあった(「琉球国由来記」、「球陽」尚真王一六年条)。正面ほぼ中央の総門は円柱入母屋造、三間二面の八脚門で、左右に仁王像が安置され中央に両開き桟唐戸を設けてあった。総門の南側に石造千鳥破風屋根の左掖門、北側には石造唐破風屋根の右掖門があった。総門を過ぎると放生池・三門・仏殿・
その東の仏殿は二層の入母屋造で円柱五間五面、鎌倉円覚寺舎利殿の建築様式の影響を強く受けた寺の中心的な建物であった。天井には幾重にも組合された枡組があり、白・黒・朱で彩色し、須弥壇壁画の配色に照応していた。床には甎とよばれる瓦のタイルが敷かれていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報