出羽島(読み)てばしま

日本歴史地名大系 「出羽島」の解説

出羽島
てばしま

牟岐港の南方約三・七キロ沖にある島。南北九八二メートル・東西六二五メートル。東に小津こつ島・島がある。嘉禎三年(一二三七)五月四日の官宣旨(九条家文書)に「手波嶋」とある。正保国絵図では牟岐浦の二里半沖に「ては島」が描かれる。正保二年(一六四五)牟岐浦の青木家がおお島でのキリシタン制道役を命じられた際、大島・出羽島は青木家に扶持として給されたらしい。慶安二年(一六四九)には「出波島」に移住する者は諸役免除とされているが、これは島の開発を推進したもので、居宅ならびに船網・漁具や柴までも貸与して口銀も地方より少ない一〇歩一とすることを指示している。

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改訂新版 世界大百科事典 「出羽島」の意味・わかりやすい解説

出羽島 (てばじま)

徳島県南東部,海部(かいふ)郡牟岐(むぎ)町の沖合約4kmにある島。〈でわじま〉〈でばじま〉とも呼ぶ。周囲3km,面積0.5km2。人口120(2010)。人が住むようになったのは,1800年(寛政12)海上防備のため6戸が移住したのに始まる。大正初期にはカツオ・マグロ漁でにぎわった。島の西に〈生きた化石〉といわれるシラタマモの群生地があり,天然記念物に指定されている。港から島の西回りはハマユウの咲くハイキング道路になっている。近くの津島,大島周辺は〈はえ〉と呼ばれる礁が多く,磯釣りの好適地である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「出羽島」の意味・わかりやすい解説

出羽島
てばじま

徳島県南東部、海部(かいふ)郡牟岐(むぎ)町の南方約3.7キロメートルの海上にある島。面積0.65平方キロメートル、周囲約3キロメートル。1800年(寛政12)徳島藩は6戸を移住させ、海上防備を兼ねて開拓にあたらせた。大正初期からはカツオ、マグロ漁でにぎわった。南西部の大池には、世界で4か所しか生息しないというシラタマモの自生地があり、国の天然記念物に指定されている。室戸(むろと)阿南海岸国定公園域で、島内には遊歩道も整備されている。周囲の海域にはバエとよばれる岩礁が多く、絶好の磯(いそ)釣り場として知られる。牟岐港からの定期船便がある。人口122(2009)。

[高木秀樹]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「出羽島」の意味・わかりやすい解説

出羽島
てばじま

「でばじま」「でわじま」ともいう。徳島県南東部,牟岐町に属する小島。寛政 12 (1800) 年徳島藩の防備のため,強制移住が行われて開拓が始った。開拓当初以来,島民は漁業を主とし,大正の初期からはカツオ釣りとマグロの延縄 (はえなわ) 漁業で繁栄した。大池のシラタマモ自生地は世界的にも珍しく,天然記念物に指定。島一帯は室戸阿南海岸国定公園に属する。島への交通は牟岐港から定期船。面積 0.65km2。人口 155 (2000) 。

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デジタル大辞泉プラス 「出羽島」の解説

出羽島

徳島県海部郡牟岐町(むぎちょう)、牟岐港の南約4キロメートルに位置する島。「てばじま」と読む。面積約0.65平方キロメートル。大池のシラタマモ自生地は国の天然記念物。島を一周する周遊道路が整備されている。

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世界大百科事典(旧版)内の出羽島の言及

【出羽島】より

…徳島県南東部,海部(かいふ)郡牟岐(むぎ)町の沖合約4kmにある島。〈でわじま〉〈でばじま〉とも呼ぶ。周囲3km,面積0.5km2。人口285(1989)。人が住むようになったのは,1800年(寛政12)海上防備のため6戸が移住したのに始まる。大正初期にはカツオ・マグロ漁でにぎわった。島の西に〈生きた化石〉といわれるシラタマモの群生地があり,天然記念物に指定されている。港から島の西回りはハマユウの咲くハイキング道路になっている。…

※「出羽島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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