日本大百科全書(ニッポニカ) 「分析美学」の意味・わかりやすい解説
分析美学
ぶんせきびがく
analytic aesthetics
分析美学は、狭義には、本質的問題を言語的なものとし、その分析を本分と考え、分析という手段を学の方法となしうるとした美学をさすが、広義には、こうした傾向をもつ主として英米を中心とする美学をいう。この美学は言語を記号的に取り扱う面もあるところから記号学的美学と、また科学的方法を是認するところから実験美学や情報美学とも関係が深いが、「分析」概念の成立と深化・反省に応じておよそ次の三つの時期に分けられる。
(1)論理実証主義の影響下にあった、A・J・エイヤーやC・L・スティーブンソンなどの情緒説の時期(1930年代末~40年代)。この主義は、認識を科学的認識に、さらにそれを可感的経験に還元していく「現象主義」的還元主義である。真・偽の決定可能性はつゆ疑われず、いっさいの認識を相互に独立な、論理的・分析的なものと経験的・総合的なものの二つに限り、後者は検証可能な場合に限り有意味であるとし、哲学の任務は、論理的分析により、有意味な言明はこのいずれかに還元しうることの解明にあるとした。したがって美的判断は、まったく無意味な、人の叫び声に等しい、単なる情緒の表出であることになる。
(2)論理実証主義は人間の主観性の徹底的自覚化の営為として歴史的意義をもつが、その主張に対して、〔1〕有意味性は可感性に還元されない、また、〔2〕認識を二つの型に限定する主張自体が分析的でも経験的に検討可能でもない、という二つの反省が、内在的に言語活動の分析そのものから生じ、日常言語学派が成立した。これに対応するのが、M・ビアズリー、M・ウェイツなどのコンテクスト理論(1950年代末~60年代前半)である。この学派は、言語の規約性の自覚、真理の対応(映像)理論批判、さまざまな言明の独自性と論理性の評価と解明とを行ったが、それに応じて芸術や美学自体が積極的に評価された。そして、創造や評価というコンテクストに開かれている芸術諸概念の特性、さらに美的対象の現象的存在性とその制作者や制作状況からの独立性、評価に際しての芸術的真理のあり方が探られた(なお、ビアズリーはニュー・クリティシズムの理論家である)。
(3)言語表現の多様性と独自性を積極的に認め、言語的問題の包括性を認識した「分析」も、依然として真理概念や現象主義に固執し、言語分析を本分とする点では変わらず、概念や分析を支える理論体系の重要さや、分析者および分析時の概念装置の歴史性の自覚が足りず、往々にしてその分析は瑣末(さまつ)であった。こうした限界を自覚し、分析を適切に手段として位置づけ、現象学や解釈学などの他の学問的成果を吸収し、知的コスモポリタニズムを指摘しうるようになったのが、A・ダントゥー、J・マルゴリス、N・グッドマン、G・ディッキーなどの、ポスト言語分析の時代(1960年代以降)である。したがって、分析や可感的現象を超えるものに関心が向かい、いままで回避してきた存在論や価値論が積極的に取り組まれ、社会、文化および伝統へと目が向けられるようになり、いまやその分析のメスは、科学には還元しえず、単なる知覚対象であることを超え、解釈を誘う、可滅な文化的生成体である芸術や作品のあり方を明らかにするために振るわれるようになった。
[戸澤義夫]
『川野洋著『分析美学』(『講座=美学新思潮3 芸術記号論』所収・1966・美術出版社)』▽『戸澤義夫著『分析美学』(『講座美学3 美学の方法』所収・1984・東京大学出版会)』▽『永井盛男著『分析哲学とは何か』(1979・紀伊國屋書店)』▽『セルジュ・コタン著、野沢協訳『英米哲学入門』(白水社・文庫クセジュ)』▽『A・J・エイヤー著、吉田夏彦訳『言語・真理・論理』(1955・岩波書店)』▽『J・L・オースティン著、坂本百大訳『言語と行為』(1978・大修館書店)』▽『リチャード・ローティ著、室井尚他訳『哲学の脱構築』(1985・御茶の水書房)』▽『ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン著、奥雅博訳『論理哲学論考』(1975・大修館書店)』▽『ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン著、藤本隆志訳『哲学探究』(1976・大修館書店)』▽『Monroe C. BeardsleyAesthetics (1958, Harcourt Brace, New York)』▽『Joseph Margolis ed.Philosophy Looks at the Arts (1978, Temple University Press)』▽『Joseph MargolisArt and Philosophy (1980, The Harvester Press)』