日本大百科全書(ニッポニカ) 「美的経験」の意味・わかりやすい解説
美的経験
びてきけいけん
esthetic experience
美や美に類する価値を経験すること。広くはこの価値をつくりだす活動としての芸術創作をも含むが、一般的には観照をさすことが多い。そして美的観照経験は、自然美を対象とするものと芸術美を対象とするものに大別されるが、西洋の美学は芸術美を主たる対象としてきた。
[小田部胤久]
美学における美的経験論の由来
美的経験は普遍的な現象であるが、つねに学問的反省の対象となっていたわけではない。古代ギリシア以来、美についての反省は、プラトン主義的伝統の下では美しい存在に、アリストテレスの『詩学』の伝統の下では芸術作品の制作過程、とくにその規則に向けられていた。美的経験が美学の中心課題となったのは、哲学における経験主義の台頭に伴って、美が知覚・経験との関連で考察される近世以降のことである。
[小田部胤久]
美的判断の美学
18世紀啓蒙(けいもう)期の美学によれば、美はそれをとらえる能力としての趣味によって美しいか否か判別・判定されるべきものであった。この背景には、芸術が宮廷文化への奉仕から解放され、しだいに公衆(市民)に開かれた自律的領域となるにつれて、芸術と公衆とを媒介する芸術批評もまた重要性を増してきたという事情がある。
カントはその『判断力批判』(1790)において、趣味判断、すなわち美的判断を、理論理性および実践理性から区別された自律的領域として確立する(美の無関心性)とともに、この判断に対して共通感覚に基づく普遍妥当性を認めることによって、啓蒙期の美学を批判的に集大成した。
[小田部胤久]
美的体験の美学
19世紀のロマン主義が規則を超えた天才の創造を重視するにつれて、芸術家の体験(生)の表現としての芸術作品は、判定されるものではなく、それを生み出した天才の体験にさかのぼって追体験(理解)されるべきものとなった(ディルタイ)。このとき、観照者にとって美的体験は、有意義な生の連関を自ら理解する手段となる。
[小田部胤久]
現象学的美学
フッサールの現象学の影響のもと、20世紀の美学は従来の心理学的傾向から決別し、美意識とその志向的対象の解明に向かった。『文学的芸術作品』(1930)に示されたインガルデンの考えによれば、本質的無規定箇所を備えている芸術作品は意識の内に具体化される限りで美的対象となる。第二次世界大戦後では、デュフレンヌの『美的経験の現象学』(1953)がこの方向を推し進め、美的対象のくみ尽くしがたい深さを情緒の深さと相関させて解明している。
[小田部胤久]
解釈学と美的経験
ハイデッガーの現象学的存在論の影響下に20世紀中葉に確立した哲学的解釈学は、すでにディルタイの指摘していた美的体験と作品解釈との必然的連関を新たに主題化した。ガダマーの『真理と方法』(1960)は、美的経験を、相互に歴史的背景を異にする解釈者と作品とが対話を介して新たな地平の内に融合する歴史的な過程としてとらえ、ディルタイの心理学的な体験概念を批判した。
芸術作品はその無規定的箇所によって想像力を刺激すべくつくられた存在であって、芸術作品がその有意味的世界を開示するためには、そもそも観照者の関与、すなわち解釈の営みが必要である。ゆえに美的経験は、観照者が解釈を介して作品の開示せんとする世界の内に「自己の可能性を投企」しつつ自ら生きるときに成立する(リクール)。この意味で、それは、解釈の知的営みに媒介された力動的経験であるとともに、日常的な生の連関から区別された自律的領域を形成しつつも、われわれを自己の生の深みへと連れ戻す充実経験である。
[小田部胤久]
『I・カント著、原佑訳『判断力批判』(1965・理想社)』▽『熊谷直男著『美的な観方について』(斎藤忍随・伊藤勝彦編『美の哲学』所収・1973・学文社)』▽『今道友信編『芸術と解釈』(1976・東京大学出版会)』▽『P・リクール著、久米博・清水誠・久重忠夫編訳『解釈の革新』(1978・白水社)』▽『竹内敏雄著『美学総論』(1979・弘文堂)』▽『W・ディルタイ著、尾形良助訳『精神科学における歴史的世界の構成』(1981・以文社)』▽『R・インガルデン著、瀧内槇雄・細井雄介訳『文学的芸術作品』(1982・勁草書房)』▽『新田博衞著『美的経験』(今道友信編『講座美学2』所収・1984・東京大学出版会)』▽『H・G・ガーダマー著、轡田収他訳『真理と方法』(1986・法政大学出版局)』▽『木幡順三著『美意識論』(1986・東京大学出版会)』