(1)中世の荘園,公領において,ある耕地の年貢として納めた米のこと。荘園,公領の1反当りの年貢徴収率(斗代(とだい))にその耕地の面積を掛け合わせて算出した。例えば,5斗代の田2反180歩の分米は1石2斗5升となる。しかし年貢の内容によって異なり,籾(もみ)で納める場合は分籾,銭の場合は分銭といい,分絹,分鉄などもみられる。例えば1271年(文永8)7月日の備中国新見荘作田惣目録(〈白河本東寺百合文書〉)によれば,新見(にいみ)荘内の吉野村では,他地域とは異なって〈段別五両〉の分鉄が賦課されていた。(2)江戸時代,検地によって定められた石高(公定生産高)を指した。石盛に反数を掛けて算出する。しかし《地方凡例録》に〈分米と云も石だかの事なれども,惣村方を分米とは云はず。一村の内にて上中下所々の畝歩のたかと云とき,此分米何ほどと唱ふるなり〉とあるように,分米は村高を表す場合には使用されず,村内の耕地を上,中,下の田の等級ごとに集計した場合などに使われた。
執筆者:木村 茂光
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「ぶんまい」ともいう。(1)中世において年貢米のこと。一反当りの年貢徴収率(斗代(とだい))に反別を乗じて算出された。籾(もみ)や銭で納める場合は、分籾(ぶんもみ)・分銭(ぶんせん)といった。(2)江戸時代に領主が農村支配にあたって使用した用語。内容は石高(こくだか)と同じ。一村のなかで、田畑の上・中・下の品等に応じて、その土地の公定収穫高を表すときに「分米 ○石○斗○升○合」と称した。その数値は、その田畑の広さに、石盛(こくもり)(田畑の上・中・下の品等に比例して定められる一反についての公定収穫高)を乗じて求められた。したがって石高と同じと考えてよいが、領主の惣知行高(そうちぎょうだか)や一村の惣村高のことは分米とはいわない。一村の惣高(村高)を構成する所々の田畑の広さと品等の分に比例した公定生産高を米の容積に換算してつけるという意味で、この場合の石高を分米と称したものと考えられている。
[所理喜夫]
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中世の荘園・公領において,定田畠に賦課される年貢米の量をいい,耕地面積に斗代をかけあわせて算出した。年貢が米以外の籾(もみ)や絹などで納められる場合は,分籾・分絹と記される。近世では,個別田畑の石高を示すが総村高をいうことはなく,上・中・下の田の等級ごとの集計などに用いられる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…給人の知行高は名目上は変わらないが実質は削減され,蔵入地が増加するので,給人は痛手をうけた。 分米(ぶまい∥ぶんまい)検地の際,一筆ごとに面積を測り,田畠の等級に応じて定められた石盛に基づいて計算された石高。中世では斗代(1反当りの年貢徴収率)に面積を乗じたもので,年貢高に相当する。…
…給人の知行高は名目上は変わらないが実質は削減され,蔵入地が増加するので,給人は痛手をうけた。 分米(ぶまい∥ぶんまい)検地の際,一筆ごとに面積を測り,田畠の等級に応じて定められた石盛に基づいて計算された石高。中世では斗代(1反当りの年貢徴収率)に面積を乗じたもので,年貢高に相当する。…
…鎌倉時代以来の貫高,室町後期以来の永高の名称は,太閤検地以降石高制が施行されるに及んですたれた。中世で租米量を表した〈分米(ぶんまい)〉という語が,近世になると法定収穫量を表すようになったが,この分米のことを高と呼ぶ場合も多くなった。しかし一部分の土地の石高をいう場合には依然として分米という語が使われることもあり,村全体の石高を集計した村高をいう場合には,分米といわず高といった。…
※「分米」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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