刑罰の執行のために使用される道具。広義の刑具として、そのほかに拷問のために使用される道具(拷問具)や検束・懲罰(在監者に対する処罰)などの用具(獄具)も含めて理解されることが多い。刑具は各時代の刑罰思想と犯罪観を反映する。
歴史的にみて、中世末期から近世初頭にかけて、とくに残虐な種類のものが多い。当時、刑罰は犯罪人に肉体的・精神的苦痛を与えることによってこれを懲らしめ、あわせて一般人を威嚇し、恐怖を抱かせることによって犯罪防圧の効果をあげようという意図のもとに行われた。また、罪を犯す者は文字どおり宗教的・道徳的な罪悪を行う者であるという感じ方が強かったので、刑罰はおのずから残虐な手段・方法を内容とするものとなった。さらに、犯罪の疑いが濃厚であるのに自白をしないふらちな者を責める拷問は、法的にも許容されるべきものと考えられた。また、法律上有罪とするために必要な証拠は得られないが、罪を犯したことに間違いないと判断される場合には処罰するという立法例(嫌疑(けんぎ)刑)もあり、実質的にみて、身体刑と拷問との限界はあいまいである。しかも、現在のところ、それが狭義の刑具なのか、拷問具なのか、それとも単なる威嚇のための飾りであったのか不明のものもあって、狭義の刑具、拷問具、獄具を厳密に区別することはむずかしい。
いずれにせよ、近代以降、上記のような刑罰思想・犯罪観が学問的に反省されるようになり、身体刑や拷問は圧倒的に廃止の傾向にあり、死刑の執行方法についても、廃止問題は別論として、これを非公開とし、できるだけ苦痛を与えない方法を用いるようにしている。日本では、1879年(明治12)の太政官(だじょうかん)布告で梟首(きょうしゅ)(晒首(さらしくび))を廃止し、翌年の旧刑法は死刑の執行方法を絞首一つと定め、監獄内において非公開で行うことにした。日本国憲法は、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」(36条)とし、「何人(なんぴと)も、いかなる奴隷的拘束も受けない」(18条前段)としている。
[須々木主一]
死刑の刑具には、絞首のための絞架・絞柱がある。絞架はヨーロッパで、絞柱は東洋で用いられた。日本でも、1870年(明治3)の新律綱領では絞柱を採用しているが、73年の太政官布告以来、絞架を用いている。地上から踏板までの高さが9尺(約273センチメートル)、踏板から絞縄鐶(こうじょうかん)を取り付ける梁(はり)までの高さが8尺、踏板は幅3尺、長さ6尺、これを敷設する地上9尺の床は、幅6尺、長さ8尺4寸という地上絞架式になっている。ただし、死刑囚を絞首の場所まで連行することの不便により、台を床と同じ平面に設けた堀割式の採用が認められている。外国では現在でも行われている方法としては斬首(ざんしゅ)、銃殺、電気殺(電気椅子(いす)を用いて感電死させる)、ガス殺(ガス室に青酸ガスをいれて窒息死させる)などがある。
歴史的には磔(はりつけ)のための磔柱(たくちゅう)があり、斬首のためには、イギリスで18世紀中ごろまで用いられた首斬(くびきり)台と手斧(ておの)や、とくにフランスで18世紀末から用いられたギロチンが有名である。そのほか、死刑の執行方法には、四つ裂き、車刑(車輪の上に寝かせて手足を縛り、四肢(しし)の血管を切り裂いて車輪を回す)、生き埋め、水責め、火炙(ひあぶ)りなど種類が多い。特異な刑具としては、水責めに用いられたドイツのビッペン(罪人をつるして水にシーソー式に入れる)や、江戸時代に日本で鋸挽(のこぎりびき)に用いられた穴晒(あなさらし)箱がある。鋸挽は主殺しに科したもので、3尺四方、深さ2尺5寸の箱に罪人を入れ、首械(くびかせ)をしてこれを箱に釘(くぎ)付けし、かたわらに罪人の血を塗った竹鋸と普通の鋸とを置き、希望者に罪人の首をこれで挽くことを許し、2日晒したのち磔にした。江戸時代、放火に対する焚刑(ふんけい)に用いられた火罪柱は、大竹を二つ割りにした輪竹・つり竹をつけたものである。日本では中世以降釜煎(かまいり)の刑に刑釜が用いられ、大盗賊石川五右衛門(ごえもん)がこの刑に処せられたのは有名であるが、徳川家康によって廃止された。
[須々木主一]
身体刑のおもなものは笞(ち)・杖刑(じょうけい)である。日本では、1873年(明治6)の改定律例まではこれを刑種に採用しているが、80年の旧刑法では廃止した。新律綱領によれば、笞(むち)は竹片でつくったもので、長さ1尺8寸(54.5センチメートル)、麻を入れて観世縒(かんぜより)で巻く。杖(つえ)の場合には長さが2尺1寸になる。江戸時代に用いられた同心杖は、藁(わら)を束ねて、観世縒で巻いた長さ1尺9寸、太さ4寸5分のものである。ヨーロッパで用いられた、たたき刑の道具として有名なものにロシアむちがある。これは皮紐(かわひも)と鉄線とを結び合わせ先端を曲げてとがらせている。また打具には、拷問具、獄具として種々のものがあり、ヨーロッパで用いられたバンベルクの拷問具、日本で江戸時代に用いられた箒尻(ほうきじり)、明治初年に用いられた訊杖(じんじょう)などは拷問具である。なお身体刑には、たたき刑のほかに、身体を障害する刑(目のくりぬき、耳・舌・鼻・手・指の切断など)、烙印(らくいん)、入れ墨などがあるが、特異なものとしては、浮言流説をなす女性に用いたダームズ・ブライドルとよばれる有棘(ゆうきょく)の口枷(くちかせ)がある。
そのほか、晒(さらし)のための刑具に、罪人が座った状態で手械・足械をかけるストック、立ったままで首と手を板の穴に通すピラリーなどの械があり、中国の首械は有名である。日本でも、律令(りつりょう)時代には、徒刑の加重手段として盤枷(はんか)(首械)、(たい)(足械)があり、江戸時代には手鎖があった。(たい)は、1908年(明治41)の監獄法制定まで獄具としても用いられた。
[須々木主一]
拷問は日本では1879年(明治12)の太政官布告で廃止されたが、それ以前は法律上も認められていた。拷問具には、打具のほか、縛具、圧迫具、有棘具、火や水などが用いられた。縛具には縄を用い、江戸時代の牢問(ろうもん)として十文字、上縄(あげなわ)、割菱(わりびし)、下廻(したまわし)、返し鷹(たか)の羽、注連(しめ)、笈摺(おいずる)などの縄打が行われたが、とくに厳しい吟味のためには、海老責(えびぜめ)、釣り責、駿河問(するがどい)があった。ヨーロッパにもこれに類するものが多く、特異なものとしては、ロンドン塔に陳列されている「道路掃除人の娘」といわれる縛具があり、これは膝(ひざ)と胸を締め合わせ、足を尻に引き寄せる拷問具であった。圧迫具には、日本で江戸時代に用いられた算盤責(そろばんぜめ)がある。算板(さんばん)に人を正座させ、板状の伊豆(いず)石を膝の上に重ねて行われる。ヨーロッパには、親指を圧迫するサムスクリュー、頭部を圧迫する鉄輪の「ポンメルンの帽子」などがあった。
有棘具としては、脚部を圧迫し、とげで傷つける「スペインの長靴」、とげのある椅子に締め付ける拷問椅子、とげのある器物内に人を入れる「有棘樽(たる)」などがある。人型の容器の内部に針をつけ、人を入れて蓋(ふた)を閉じると、その身体を刺し、蓋を開くと中の人が下の堀割に落ちるようになっている「鉄の処女」は、ドイツ中世の刑具として有名であるが、その使用目的、使用の有無は明らかでない。
火・水を用いるものには炙籠(あぶりかご)・簀巻(すまき)がある。なお、搾汗箱(さくかんばこ)は、獄具として懲罰に用いられたものではあるが、小さな息穴をつけた鉄製の「鉄の処女」のような筒中に人を入れ、直射日光の下や火熱の傍らに置くもので、イギリスのオーストラリア流刑地や、アメリカのジョージア州で用いられた。
[須々木主一]
『滝川政次郎著『日本行刑史』(1961・青蛙房)』
刑罰に用いられる道具。拷問具や,在監者に対する懲罰用具,戒具を含めていうこともあり,この場合には獄具とも称する。各時代,各地域において,刑種に応じさまざまな刑具が案出されてきた。生命刑(死刑)については,刀剣,槍銃,絞縄と絞首台,磔柱,火刑柱など各国に普遍的であった。近代の死刑具としてことに名高いものに,フランスのギロチン(1981廃止),アメリカの電気いすがある。身体刑の刑具は,刀剣類のほか烙印(らくいん),入墨具など肉体をそこなわしめるものと,鞭や棍棒など打撃によって痛苦を与えるものとに分けられる。中国律の笞(ち),杖(じよう)は後者の例である。自由刑では手錠(手鎖(てじよう)),枷(かせ)が代表的であり,これらは戒具としても使用される。
前近代の刑罰は一般に名誉刑的要素をもっているが,とくにその性格が著しい刑具に,西洋のさらし台,江戸時代の穴晒箱(あなざらしばこ),罪科を記した捨札(すてふだ)および幟(のぼり)などがある。獄門台も,死屍に恥辱を加え,もって人々を威嚇するものであった。労役刑では,空役を科した踏車,クランク,日本で1887年に行われた罪石(ざいせき)がよく知られている。
執筆者:加藤 英明 中国でも他の諸地域と同様,古い時代よりその刑罰体系の中で死刑,肉刑が主要な地位を占めた。したがって,その刑に応じ種々の刑具が用いられた。例えば死刑の場合,清代における斬刑の執行人たる劊子手(かいししゆ)の刀(鬼頭刀)は明代から伝わる5種の名刀であったという。絞刑は受刑者の首を縛った縄に棒を差し込み,これを回して絞め上げるものであった。肉刑である杖刑,笞刑は棒によって臀または腿,背を打つもので,杖は笞より太い。これらの主刑を執行する刑具のほか,付加刑や獄といわれる未決監における勾留や拷問のための刑具もあった。枷(か)は乾木製または鉄製の首かせ,杻(ちゆう)は古くは桎梏(しつこく)ともいう手かせ,足かせで,重さに等級がつけられていた。尋問のためには訊杖(または訊囚杖,清代には竹板)という一定規格の杖があり,また夾棍(きようこん),指(さつし)(または子)という3本の棒とそれに通した縄より成り,脚,腕,指を挟んで責める道具があった。木製で新しいものや湿ったものはよりはげしい苦痛を与えることがあり,また獄吏の執行しだいでは死に至らしめることも可能であった。
執筆者:植松 正 ヨーロッパの刑具も多種で,民族,時代,場所により,また刑罰に応じて,自然物から加工物まで,また生物から無生物まで大小各種のものが用いられてきた。前近代のおもな刑具を例示すると,斬首およびその他の切断刑には,斧およびその木台,あるいは剣が用いられており,ギロチンすなわち断首機の出現は16世紀である。絞首には絞首台および綱が,焚殺には柱,薪,綱,釘が,四つ裂きには馬が,十字架刑には,股木,柱,綱が用いられた。奇異なものとしては,鞭打ち後に狼皮の帽子と木靴をつけられた罪人が牛皮袋に蛇等とともに封じこまれ,黒牛の荷車で運ばれて川に投ぜられるローマの袋刑,共同体全員が処刑に参加する投石刑,車輪で全身の骨を砕いたのち体を車輪に編みつけて,これを竿先に掲げ地に挿して放置する車刑等がある。皮髪刑には,刑柱,綱,鞭またはかみそりが,もしくは烙印用赤鉄が用いられる。拘禁刑には,地下牢のほかに格子つき木箱が用いられる。名誉刑には,屈辱行進の罪人は石またはろうそくを携行し,さらし刑の罪人は石,さらし台またはさらし柱につながれる。近世のパリには大きな鉄製の多人数用回転式さらし台があった。名誉刑にはこのほか,水たまりまたは川へ罪人を投じるためのはね飛ばし台もある。鉄製または木製の首,足,手のかせ,おもり等は主として補助刑具として用いられた。罪人の苦痛の加重または軽減のために,主たる刑具の使用の前または後に用いられるものもある。また,生き埋めの場合に身体の上に置かれるいばら,または埋めたのち,その上に打ちこまれる杭は,悪霊封じのためであるが,刑具でもあろう。処刑に際して用いられる道具中,いわゆる刑具とその他との差は必ずしもはっきりしてはいないし,刑具と拷問具との境界も明りょうではない。刑法の近代化とともに刑具の種類は減少し,その性格も変化していった。
→刑罰
執筆者:塙 浩
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