1874年(明治7)1月17日、前参議板垣退助(たいすけ)、後藤象二郎(しょうじろう)、江藤新平(しんぺい)、副島種臣(そえじまたねおみ)、前東京府知事由利公正(ゆりきみまさ)、前大蔵大丞(だいじょう)岡本健三郎および起草者である古沢滋(ふるさわしげる)(迂郎(うるお))、小室信夫(こむろしのぶ)の8名が署名し、政府に対して最初に国会開設を要望した建白書で、自由民権運動の発端となった歴史的文書。征韓論に敗れて下野した板垣ら前参議は、イギリスから帰国した古沢・小室らの意見を聞き、74年1月12日に愛国公党を結成して反政府運動に乗り出した。「天の斯民(しみん)を生ずるや之(これ)に附与するに一定動かすべからざるの通義権理を以(もっ)てす」という天賦(てんぷ)人権論にたって、専制政府を批判して、君民一体の政体をつくらない限り帝国の隆盛はないといい、士族および豪農商に参政権を与えよと主張した。この建白書をめぐって、政府や明六(めいろく)社は時期尚早と反対したが、自由民権思想はしだいに国民各層の間に浸透した。
[後藤 靖]
『原口清著『日本近代国家の形成』(1968・岩波書店)』▽『後藤靖著『天皇制形成期の民衆闘争』(1981・青木書店)』
臣等伏して方今政権の帰する所を察するに、上(かみ)帝室に在らず、下(しも)人民に在らず、而(しか)も独(ひと)り有司(ゆうし)に帰す。夫(そ)れ有司上帝室を尊ぶと曰(い)はざるには非ず、而(しかも)帝室漸く其尊栄を失ふ、下人民を保つと云(い)はざるにはあらず、而も政令百端、朝出暮改(ちょうしゅつぼかい)、政刑(せいけい)情実に成り、賞罰愛憎に出づ、言路壅蔽(ようへい)、困苦告(つぐ)るなし。夫如是(かくのごとく)にして天下の治安ならん事を欲す、三尺の童子も猶(なお)其不可なるを知る。因仍(いんじょう)改めず、恐くは国家土崩の勢を致さん。臣等愛国の情自ら止む能はず、即(すなは)ち之を振救(しんきゅう)するの道を講求するに、唯天下の公議を張るに在る而已(のみ)。天下の公議を張るは、民撰議院を立つるに在る而已。則(すなはち)有司の権(けん)限る所あつて、而して上下其安全幸福を受る者あらん。請(こう)遂に之を陳(ちん)ぜん。
夫れ人民政府に対して租税を払ふの義務ある者は、乃其政府の事を与知(よち)可否(かひ)するの権理を有す。是(こ)れ天下の通論にして、復喋々(ちょうちょう)臣等の之を贅言(ぜいげん)するを待ざる者なり。故に臣等窃(ひそか)に願ふ、有司亦是大理に抗抵せざらん事を。今民撰議院を立るの議を拒む者曰く、我民不学無智(むち)、未だ開明の域に進まず故に今日民撰議院を立る尚(なお)応(ま)さに早かる可しと。臣等以為(おもえ)らく、若し果して真に其謂(い)ふ所の如き乎(か)、則之をして学且(かつ)智、而して急に開明の域に進ましむるの道、即ち民撰議院を立るに在り。(『自由党史 上』による)
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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