精選版 日本国語大辞典 「勝本清一郎」の意味・読み・例文・類語
かつもと‐せいいちろう【勝本清一郎】
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文芸評論家。東京生れ。一貫して慶応に学ぶ。在学中慶応劇研究会で活躍。卒業後《三田文学》編集委員となる。同誌発表の小説,評論が認められて《新潮》に起用され,評論家として世に出た。プロレタリア文学に接近し,《前衛の文学》(1930)を刊行。ベルリン留学中の1930年11月,日本プロレタリア作家同盟の代表として国際革命作家同盟のハリコフ会議に出席し,日本プロレタリア文学運動について報告した。33年に帰国,35年日本ペンクラブ創立に参加。36年《日本文学の世界的位置》を刊行。戦争中は執筆禁止にあったが,戦後は日本ユネスコ連盟理事長をつとめるかたわら,日本近代文学の実証的研究に従事。《透谷全集》(1950-55)の編集その他で活躍。著作集《近代文学ノート》4巻(1979-80)がある。
執筆者:山田 博光
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文芸評論家。東京生まれ。慶応義塾大学卒業(1923)。在学中の1920年(大正9)慶応劇研究会を創立。ついで『三田文学』の編集のかたわら小説を発表。昭和の初年、プロレタリア文学運動の影響を受け、文芸評論家として活躍、『前衛の文学』(1930)を刊行。在独中の1930年(昭和5)日本プロレタリア作家同盟代表としてハリコフ(ハルキウ)会議に出席。その報告と翌年の「ベルリンからの緊急討論」は、プロレタリア文学の動向に大きな影響を与えた。1933年帰国して評論活動を再開、『日本文学の世界的位置』(1936)を刊行。しかし執筆禁止にあい、近代文学研究に従事。戦後は日本ユネスコ連盟理事長のかたわら、『透谷全集』の編集、『座談会明治文学史』(1961)など明治文学研究の分野で大きな業績をあげた。
[山田博光]
『勝本清一郎著『近代文学ノート』全四巻(1979~80・みすず書房)』
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