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勝本清一郎 かつもとせいいちろう

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百科事典マイペディアの解説

勝本清一郎【かつもとせいいちろう】

文芸評論家。東京生れ。慶大美術史科卒。蔵原惟人を通じて左翼運動に接近し,プロレタリア文学運動に参加。1929年渡独,1930年には日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)代表として国際革命作家同盟(モルプ)第2回国際会議ハリコフ会議)に出席した。
→関連項目三田派

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

勝本清一郎 かつもと-せいいちろう

1899-1967 昭和時代の文芸評論家。
明治32年5月5日生まれ。蔵原惟人(これひと)をとおしてプロレタリア文学運動にちかづき,昭和5年日本プロレタリア作家同盟代表としてハリコフ会議に出席。のち近代文学の研究に転じ,「透谷全集」編集などに成果をあげた。昭和42年3月23日死去。67歳。東京出身。慶大卒。著作に「近代文学ノート」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

かつもとせいいちろう【勝本清一郎】

1899‐1967(明治32‐昭和42)
文芸評論家。東京生れ。一貫して慶応に学ぶ。在学中慶応劇研究会で活躍。卒業後《三田文学編集委員となる。同誌発表の小説,評論が認められて《新潮》に起用され,評論家として世に出た。プロレタリア文学に接近し,《前衛の文学》(1930)を刊行。ベルリン留学中の1930年11月,日本プロレタリア作家同盟の代表として国際革命作家同盟のハリコフ会議に出席し,日本プロレタリア文学運動について報告した。33年に帰国,35年日本ペンクラブ創立に参加。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

勝本清一郎
かつもとせいいちろう
(1899―1967)

文芸評論家。東京生まれ。慶応義塾大学卒業(1923)。在学中の1920年(大正9)慶応劇研究会を創立。ついで『三田文学』の編集のかたわら小説を発表。昭和の初年、プロレタリア文学運動の影響を受け、文芸評論家として活躍、『前衛の文学』(1930)を刊行。在独中の30年(昭和5)日本プロレタリア作家同盟代表としてハリコフ会議に出席。その報告と翌年の「ベルリンからの緊急討論」は、プロレタリア文学の動向に大きな影響を与えた。33年帰国して評論活動を再開、『日本文学の世界的位置』(1936)を刊行。しかし執筆禁止にあい、近代文学研究に従事。戦後は日本ユネスコ連盟理事長のかたわら、『透谷全集』の編集、『座談会明治文学史』(1961)など明治文学研究の分野で大きな業績をあげた。[山田博光]
『勝本清一郎著『近代文学ノート』全四巻(1979~80・みすず書房)』

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