日本大百科全書(ニッポニカ) 「北波多」の意味・わかりやすい解説
北波多
きたはた
佐賀県北西部、東松浦(ひがしまつうら)郡にあった旧村名(北波多村(むら))。現在は、唐津市(からつし)の中部、南寄りを占める地区。2005年(平成17)唐津市、浜玉(はまたま)町、厳木(きゅうらぎ)町、相知(おうち)町、肥前(ひぜん)町、鎮西(ちんぜい)町、呼子(よぶこ)町と合併、唐津市となる。旧村域は、唐津湾に注ぐ松浦川の支流徳須恵(とくすえ)川流域にあり、中央部を国道202号が走る。南部を伊万里(いまり)市と接する。JR唐津線山本駅が近く、筑肥(ちくひ)線唐津駅近くからバスがある。岸岳城跡は中世上松浦(かみまつら)の首領波多氏の拠点。明治末から大正時代にかけて三菱芳谷(みつびしよしたに)炭坑が唐津炭田の王座を占め、村人口も1920年(大正9)には1万7318をも数えたが、エネルギー革命で炭鉱はすべて閉山し、国鉄唐津線の岸岳支線も1971年(昭和46)廃止された。近年は、米、茶、ミカン、イチゴ、畜産などの農業が盛ん。炭鉱跡地利用の住宅団地建設なども行われた。岸岳山麓に点在する初期段階の唐津焼を焼成した窯跡群を「岸岳古窯群(きしだけこようぐん)」と総称するが、この古窯群のうち、北波多地区にある飯洞甕(はんどうがめ)上窯跡、飯洞甕下窯跡、帆柱(ほばしら)窯跡、皿屋(さらや)窯跡、皿屋上窯跡は国指定史跡「肥前陶器窯跡(ひぜんとうきかまあと)」に含まれる。ほかに釈迦涅槃(しゃかねはん)の磨崖仏がある法安寺、樹齢200年の志気(しげ)大シャクナゲや、民俗芸能の志気浮立(しげぶりゅう)などが知られる。
[川崎 茂]
『『北波多村史』上下(1961、1963・北波多村)』