筑後川の旧河道
祭神は応神天皇を主神に、相殿に仲哀天皇・神功皇后・難波皇子・住吉明神・武内宿禰・宇治皇子を祀り、天忍穂耳命・伊弉諾尊・高木神・菅原道真を合祀する。もと肥前国一の宮で旧国幣小社。千栗宮とよばれてきたが昭和一五年(一九四〇)改称。
創立年については神亀元年(七二四)、天平年中(七二九―七四九)、天平宝字年中(七五七―七六五)の三説があるが、いずれも夢の神告によった養父郡郡司壬生春成の創建としている。「本朝世紀」に長保元年(九九九)「千栗宮」御料の甕の油が増さず減ぜずの奇瑞ありとされ、これは「日本紀略」にもみえる。
当社が八幡宇佐宮神宮寺弥勒寺領内に勧請された鎮守八幡宮であることは、年月日不記の弥勒寺喜多院所領注進(石清水田中家文書)に「千栗宮御佃五丁」とみえることでわかる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
佐賀県三養基(みやき)郡みやき町白壁(しらかべ)に鎮座。「ちりくさん」ともいう。主祭神は応神(おうじん)天皇、仲哀(ちゅうあい)天皇、神功(じんぐう)皇后。724年(神亀1)郡司壬生春成(みぶはるなり)が一夜にして栗千株が生ずる奇瑞(きずい)により八幡大神の降臨を知り、朝廷に請い社殿を建築したと伝えられる。古来宇佐(うさ)神宮の別宮とされ、九州五所八幡宮の一つとして宇佐宗廟(そうびょう)に準ずる殊遇を受けた。肥前(ひぜん)国の一宮(いちのみや)。戦国時代兵火にあうが、龍造寺(りゅうぞうじ)氏が再興。江戸期は藩主鍋島(なべしま)家が修造に努めた。旧国幣小社。例祭は9月15日、放生会(ほうじょうえ)という。「おかゆさん」とよばれる3月15日のお粥(かゆ)祭も知られる。所蔵の『千栗八幡宮縁起絵』は県指定重要文化財。
[佐野和史]
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…久留米・鳥栖テクノポリス圏域にあって,工業生産ものびている。奈良時代の創建と伝える千栗八幡宮は,九州五社八幡宮の一つで,毎年3月15日に豊凶を占う御粥(おかゆ)祭が行われる。【松橋 公治】。…
※「千栗八幡宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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