十島(読み)としま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「十島」の意味・わかりやすい解説

十島(村)
としま

鹿児島県の南方海上、屋久(やく)島と奄美(あまみ)大島との間に180キロメートルにわたって連なる吐噶喇(とから)列島を村域とし、鹿児島郡に属する。もともと上三島(かみさんとう)(現、三島(みしま)村)と下七島(現、十島(としま)村)をあわせて十島村(じっとうむら)の村域としていたが、第二次世界大戦後、北緯30度以南の島々がアメリカ軍政下に置かれたため、上三島と分断された。1952年(昭和27)日本に復帰し、吐噶喇列島(下七島)で十島村の名を継承した。村役場は、各島間の交通が不便なため鹿児島市にある。中之島に役場支所、十島開発総合センターがある。島々は霧島火山帯に属し、温泉が湧出(ゆうしゅつ)、とくに諏訪瀬(すわのせ)島の御岳(おんたけ)は活動が活発である。鹿児島からの船便は、口(くち)之島、中之島、平(たいら)島、諏訪瀬島、悪石(あくせき)島、小宝(こだから)島、宝島を経て奄美大島の奄美市名瀬と結ぶ村営定期船が月に8~10往復ある。傾斜草地利用の肉牛放牧をはじめとする畜産業、サワラシビトビウオなどの漁業が主産業である。大島紬(つむぎ)の賃織りは衰退、港湾整備が進行中である。臥蛇島(がじゃじま)は1970年に無人島化した。天然記念物には国指定のエラブオオコウモリ(宝島)、県指定のトカラウマ(中之島)・タモトユリ(口之島)がある。面積101.14平方キロメートル、人口740(2020)。

[平岡昭利]

『斎藤毅・塚田公彦・山内秀夫編著『トカラ列島――その自然と文化』(1980・古今書院)』


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改訂新版 世界大百科事典 「十島」の意味・わかりやすい解説

十島[村] (としま)

鹿児島県鹿児島郡の村。人口657(2010)。九州と奄美大島の間に位置する吐噶喇(とから)列島の口之島,中之島,臥蛇(がじや)島,平島諏訪之瀬島,悪石(あくせき)島,小宝島,宝島,横当(よこあて)島などの島々からなる。古くは下七島と称され,明治中期から1946年まで上三島(硫黄島,黒島,竹島。現在の三島村)とともに十島(じつとう)村を形成していたが,同年に下七島はアメリカ軍に接収され,臨時北部南西諸島政府(のち奄美群島政府)の支配下に置かれた。52年本土に復帰して大島郡十島村となり,73年鹿児島郡所属となる。周辺の海域は荒海で交通の便が悪く,村役場は鹿児島市に置かれている。横当島に続いて1970年には臥蛇島も無人島になった。全島が火山灰粘土質の土壌で覆われ,また台風の常襲地域にあたるため農業は不振で,和牛の肥育を中心とする畜産に力が注がれている。近年,漁港整備の促進により専業漁家も育成され,1965年からは大島紬の製造も行われている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の十島の言及

【口之三島】より

…合計面積31.61km2。第2次大戦前は下七島(現在の吐噶喇(とから)列島)とともに大島郡十島(じつとう)村を構成していたが,戦後北緯30゜以南がアメリカ軍政下に入ったため,以北の3島で十島村を構成,役場を鹿児島市に置いた。1952年復帰した下七島で十島(としま)村を,また3島は別に三島(みしま)村を構成,さらに73年両村とも鹿児島郡に移属した。…

※「十島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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