デジタル大辞泉
「口之島」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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口之島
くちのしま
[現在地名]十島村口之島
吐
喇列島の最北に位置し、北端を北緯三〇度線が通る。火山性の島で周囲約二〇キロ。面積一三・三三平方キロ。最高峰は中央部の前岳(六二八・三メートル)で、燃岳南西部のセランマからは温泉が湧出している。北西部に西之浜港がある。島の周囲はほとんどが断崖。南に中之島、西に臥蛇島がある。
〔近世〕
河辺郡七島のうち。鹿児島藩船奉行の管轄下、宝永(一七〇四―一一)頃に津口番所、寛政元年(一七八九)に異国船番所・異国船遠見番所が設置され(列朝制度)、鹿児島藩庁から派遣された口之島在番は口之島・臥蛇島・平島の三島を管轄した(拾島状況録)。幕末から明治初年の口之島在番は佐々木弥兵衛・木原清之助・重久吉之丞であった(十島村誌)。在番の指示の下で口之島郡司が浦役を兼ねながら島政にあたった。口之島肥後家家系図(十島村文化財調査報告書)の織部介盛広(慶長七年―延宝六年)の項に郡司と明記されてはいないが、「役儀相勤候処、致老衰、嫡子作左衛門盛喜ニ致相続也」とある。在番のほかに横目が一年交替で藩から派遣され、島民から選ばれた二人の横目(島横目)を指揮して治安維持にあたった(拾島状況録)。近世初頭から寛政年間にかけての郡司は肥後盛広のほか七人で(前掲肥後家家系図)、幕末には肥後休右衛門・永田某が勤めた。島横目には日高助十郎・日高正太郎がいる(「列朝制度」・十島村文化財調査報告書)。
元禄国絵図に口ノ島とみえ、島回二里二五町、中ノ島まで海上五里などとある。藤井本「要用集抄」によれば正徳三年(一七一三)頃の高一一〇石余、用夫九二、鹿児島から海路六九里。享保一二年(一七二七)に作成された検地名寄帳の写である立証名寄帳写(十島村文化財調査報告書)が現存し、同帳によれば中村・向村・不動堂村・奥村・下津峯村・前向村・上家村・下村・津峯村・岸薗村・前家村・下之村・庄司道村・加村・阿野村・岸元村・処薗村・新家村・中阿野村の各屋敷および郡司が名頭となっている殿内屋敷の二〇がある。門にあたる屋敷名に村が付くところが特徴的で、一屋敷の平均は二・六家部である。各屋敷に割当てられた高は、殿内屋敷の六石一斗余を最高、下之村屋敷の四石九斗余を最低として、平均は五石一斗余。殿内屋敷を除く他の一九屋敷の高はほとんど同じ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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口之島【くちのしま】
鹿児島県,吐【か】喇列島のもっとも北に位置する火山島。面積は13.33km2で安山岩からなり,ほぼ中央に最高点の前山(標高629m)がある。南部の燃岳南西には温泉が湧き,頂上近くには噴気孔もあり,今も活動を続けている活火山である。なお,燃岳周辺にはわが国固有の野生黒毛牛がわずかに生息し,絶滅が懸念されている。島の北部にある西之浜港へ,鹿児島および奄美大島・名瀬からフェリーが通じる。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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世界大百科事典(旧版)内の口之島の言及
【吐噶喇列島】より
…総面積101.35km2,人口776(1995)。屋久島と奄美(あまみ)大島の間,七島灘と呼ばれる東シナ海の海域に北東から南西方向に,約160kmにわたってほぼ2列に島が点在,東側には北から口之島,[中之島],[諏訪之瀬島],悪石(あくせき)島,小宝島,[宝島],西側には北から臥蛇(がじや)島,小臥蛇島,平(たいら)島が並び,南方に離れて横当(よこあて)島がある。北緯30度線が最北の口之島を通る。…
※「口之島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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