千姫(読み)センヒメ

デジタル大辞泉 「千姫」の意味・読み・例文・類語

せんひめ【千姫】

[1597~1666]徳川秀忠長女豊臣秀頼とよとみひでより政略結婚させられたが、大坂城落城後、本多忠刻ほんだただとき再婚。夫の死後、出家して天樹院と号した。大坂城落城の際に姫の救出に功のあった坂崎出羽守の事件、忠刻没後の乱行などの俗説があり、歌舞伎などに脚色されている。

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精選版 日本国語大辞典 「千姫」の意味・読み・例文・類語

せん‐ひめ【千姫】

  1. 徳川幕府二代将軍秀忠の長女。母は浅井長政の三女達子(崇源院)。七歳で豊臣秀頼に嫁したが、元和元年(一六一五)の大坂落城に際し、城を出、翌年桑名城主本多忠政の子、忠刻(ただとき)に再嫁した。忠刻の死後、落飾して天樹院と称して江戸城竹橋門内に住んだ。大坂城から、姫を救出した坂崎出羽守の話や吉田御殿の俗説が歌舞伎や講談などに脚色されている。慶長二~寛文六年(一五九七‐一六六六

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朝日日本歴史人物事典 「千姫」の解説

千姫

没年:寛文6.2.6(1666.3.11)
生年:慶長2.4.11(1597.5.26)
江戸幕府2代将軍徳川秀忠と御台所達子(お江与の方,浅井長政の3女,崇源院)の長女。伏見で生まれる。7歳で豊臣秀頼に嫁し,大坂城に入る。この婚姻は故豊臣秀吉と徳川家康との間で内約されていたものだが,婚姻当時,すでに両家の関係は芳しくなかった。11年後の慶長19(1614)年,ついに大坂攻めが始まり,一時講和したが,翌年5月7日,秀頼と母淀殿が自害して豊臣氏は滅んだ。千姫はこの直前に脱出して,坂崎直盛を介して保護された。秀頼母子の助命を望む豊臣方のもくろみともいわれる。秀頼との間に子はなかった。秀頼の娘千代姫(天秀法泰)の助命を願い,幕府もこれを容れて,東慶寺へ入れる。 翌元和2(1616)年姫路城主本多忠政の長子忠刻に再嫁。忠刻の母は家康の長子松平信康の次女国姫で,この縁で結ばれた縁組と考えられる。再嫁に当たり,千姫には化粧料10万石が与えられた。忠刻との間に1男1女を儲けたが,男子は夭折。寛永3(1626)年忠刻が病死したため,娘勝子を連れて江戸へ戻り竹橋門内に住し,落飾して天樹院と号した。時の将軍であった弟の家光が千姫を歓待,厚遇したため,その後幕閣に対しても影響力を持つようになった。娘勝子の嫁ぎ先である岡山藩池田家もその恩恵を受けている。また家光から次男綱重の養育を託されるなどし,家光没後も,将軍家内に心を配った。いわゆる吉田御殿の乱行は事実無根墓所は小石川伝通院。<参考文献>橋本政次『千姫考』,『池田光政日記』

(久保貴子)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「千姫」の意味・わかりやすい解説

千姫
せんひめ
(1597―1666)

徳川2代将軍秀忠(ひでただ)の長女。母は正室浅井氏お江(ごう)(崇源院(すうげんいん))。1598年(慶長3)病床にあった豊臣(とよとみ)秀吉は嗣子(しし)秀頼(ひでより)と家康の孫女千姫との婚約を結んだ。この約束は守られ、1603年(慶長8)7歳の千姫は11歳の秀頼に嫁した。家康が豊臣氏を攻めた大坂冬・夏の陣に千姫は大坂城にこもっていたが、15年(元和1)5月、落城の前夜脱出し、家康の陣営に至り、ついで江戸に送られた。翌年伊勢(いせ)桑名(くわな)城主本多忠政(ただまさ)の長子忠刻(ただとき)に再嫁し、忠政が姫路へ転封となったので忠刻とともに姫路城に居することとなった。26年(寛永3)忠刻は父に先だち病没したので、千姫はふたたび江戸城に戻り、落髪して天樹院と称し、城内の竹橋御殿に住した。大坂城脱出の際、坂崎出羽守直盛(でわのかみなおもり)が救出に功があり、千姫を与えるといわれたとして、千姫再嫁のときに騒動を起こし殺害された事件は著名である。忠刻没後、千姫は乱行をほしいままにしたという話もあるが、虚説である。

[林 亮勝]

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改訂新版 世界大百科事典 「千姫」の意味・わかりやすい解説

千姫 (せんひめ)
生没年:1597-1666(慶長2-寛文6)

江戸幕府2代将軍徳川秀忠の長女。母は崇源院。1603年(慶長8)7月,7歳で豊臣秀頼に嫁した。15年(元和1)の大坂落城のさい脱出。翌年,本多忠勝の孫忠刻(ただとき)に再嫁のさい,坂崎直盛が千姫を奪取しようとする事件があった。忠刻との間に1男1女(池田光政の室)をもうけたが,忠刻と男子が死去して絶家となり江戸に帰った。竹橋御殿に住み天樹院と名のった。〈吉田御殿〉の乱行の物語は俗説で事実ではない。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「千姫」の意味・わかりやすい解説

千姫
せんひめ

[生]慶長2(1597).4.11. 伏見
[没]寛文6(1666).2.6. 江戸
江戸時代初期,2代将軍徳川秀忠の娘で,豊臣秀頼の夫人。母は浅井長政の娘達姫。徳川,豊臣両氏和親のため慶長8 (1603) 年7歳で豊臣秀頼に嫁した。元和1 (15) 年大坂夏の陣で豊臣氏が滅んでから関東に帰り,本多忠政の長子忠刻と同2年9月 29日再婚。忠刻との間に生れた娘は池田光政の室となった。寛永3 (26) 年忠刻が死んでからは尼となり天樹院と称した。寛文6 (66) 年 70歳で死ぬまで江戸城竹橋内に居住。忠刻と再婚するときの坂崎出羽守の事件 (→坂崎直盛 ) や,30歳で寡婦となったことなどのため「吉田御殿」の怪聞を生じた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「千姫」の解説

千姫
せんひめ

1597.4.11~1666.2.6

徳川秀忠の長女。母は浅井長政の女崇源院。1603年(慶長8)7月豊臣秀頼に嫁した。15年5月豊臣氏滅亡の際,大坂城を脱出。16年(元和2)伊勢国桑名藩主本多忠政の長子忠刻(ただとき)に再嫁し,化粧料10万石が与えられた。翌年姫路に移る。1男1女を生むが男子は夭折。26年(寛永3)忠刻没後落飾して天樹院と号し,江戸竹橋門内に住居した。弟徳川家光の厚遇をうけて勢力をもつ。また家光の要請でその次男綱重の養育にあたった。

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百科事典マイペディア 「千姫」の意味・わかりやすい解説

千姫【せんひめ】

徳川秀忠の長女。大坂に入城し7歳で豊臣秀頼に嫁す。1615年豊臣氏滅亡の際,坂崎出羽守に助けられ城を出る。坂崎との婚約を破ったといわれ,本多忠刻(ただとき)の妻となったが死別して天樹院と号した。〈吉田御殿〉の乱行の俗説が歌舞伎などに脚色されて有名。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千姫」の解説

千姫 せんひめ

1597-1666 江戸時代前期,徳川秀忠の長女。
慶長2年4月11日生まれ。母は崇源院(すうげんいん)。慶長8年7歳で豊臣秀頼にとつぎ大坂城にはいる。大坂落城のさい坂崎出羽守(でわのかみ)にたすけられ脱出。翌年本多忠刻(ただとき)と再婚する。忠刻の死後出家し江戸城竹橋内にすんだ。寛文6年2月6日死去。70歳。墓所は伝通院(東京都文京区)。法号は天樹院。

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「千姫」の解説

せんひめ【千姫】

茨城の日本酒。純米酒と本醸造酒がある。原料米はひたち錦、日本晴など。仕込み水は自家井戸水。蔵元の「檜山酒造」は明治17年(1884)創業。所在地は常陸太田市町屋町。

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367日誕生日大事典 「千姫」の解説

千姫 (せんひめ)

生年月日:1597年4月11日
江戸時代前期の女性。豊臣秀頼の妻
1666年没

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世界大百科事典(旧版)内の千姫の言及

【縁切寺】より

…縁切寺はアジールの残存と考えられ,江戸時代初期尼寺には一般に縁切寺的機能があったと思われるが,中期以降になると鎌倉松ヶ岡の東慶寺と上州(群馬県)勢多郡徳川郷の満徳寺の2ヵ寺のみに限られた。両寺が江戸時代を通じて縁切寺たりえたのは,徳川家康の孫娘千姫にかかわる由緒による。東慶寺は千姫が助命をかなえた秀頼の息女天秀尼の入寺に当たって家康が特別許可を与え,満徳寺は千姫自身が入寺し,離婚後再婚した例にならって,両寺とも開山以来の縁切寺法の特権が再確認されたゆえと伝えられている。…

【徳川秀忠】より

…翌年正四位下左近衛少将,ついで参議,右近衛中将,92年(文禄1)従三位権中納言と昇進,在京時以外は主として江戸城にあって,政務に奔走する父家康の留守を支えた。94年再び秀吉の意志により浅井長政の三女江与(えよ)(於江(おごう),逵子(みちこ)とも,法号崇源院)と結婚,97年(慶長2)長女千姫をもうけ,翌年秀吉の死に先立ち秀吉の子秀頼と千姫の婚約が成立,秀忠の政治的地位は重みを増した。1600年関ヶ原の戦に東山道を西上したが,信州上田城の真田昌幸に遮られて決戦にまにあわず,家康の叱責を受けた。…

【北勢[町]】より

…町域西端,治田峠の東麓付近一帯は,かつて銀,銅を産し,鉱山町が栄えた。1615年(元和1)徳川秀忠の娘千姫が桑名の本多忠刻に再嫁した際,治田鉱山はその化粧料にあてられている。中心集落の阿下喜は員弁川上流域の谷口集落で,員弁郡北部の物資集散地として発展し,桑名までの舟運もあった。…

※「千姫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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